知らなくても良い言葉、というのがあると思うのです。豚インフルエンザのニュースが相変わらず賑やかですが、それを見ていてふとそんな事を思ったのです。
ここのところの国内のニュースでは、食肉業界への風評被害を気にしてか、「豚インフルエンザ」とは書かずに、「新型インフルエンザ」と書く事が多いみたいですが、海外では「Swine Flu」という表現がほぼ一般的になっているようです。
「Swine」という単語は普段はあまり見掛けませんが、「豚」とか「豚の」という意味なのですね。
因みに「牛の」は「Bovine」、「鳥の」は「Avion」だったと思います。BSEのBはBovineのBなのです。
この「Swine」という単語は、普通に「豚の」という意味だけではなく、時には誰かを嘲笑するときなどにも使うそうです。「この豚野郎!」という時には「You Swine!」なのですね。
こういう使い方は、辞書を見ただけでは、ちょっとした冗談で済むのか、もっとシリアスな中傷なのか、実際に使う場面に遭遇しないとなかなか判らないのです。(ところで、「金髪豚野郎」って英語でなんて言うのだろう。「Blondie Swine!」とかと言うのかな。パンクバンドの名前みたい)
だから、この手の単語は、誤ったTPOで使ってしまうと致命的に危険なので、わざわざ知らなくてもいいなあ、と思ってしまうのですね。豚は「Pig」だけでいいじゃん、取り敢えず、みたいな。
(時々、日本に来たばかりの外国人に、「おっぱい」だの「ちんちん」だのとヒワイな単語を教えて喜んでいる人がいますが、僕はそういうのには本当に腹が立つのです。本人が誤ってそういう単語を口にしてしまって、恥をかいたりトラブルにあったりする可能性を考えないのだろうか)
こういう言葉のニュアンスのことでいつも思い出す事があるのです。何年も前の桜の季節です。
ある短大に派遣講師で来ていたアメリカ人男性の友達から、つい最近着任したアメリカ人女性の同僚がホームシック気味なのだ、という話を聞いて、じゃあせっかく桜の季節だから、皆でお花見にでも行こうか、という話になったのです。
友人数人とビールや食べ物を買って、花見客で賑わう夕方の公園に出掛けました。レジャーシートを敷いてお花見というか、良くあるオソトでの飲み会を開始。
まだ日本語もカタコトという程も喋れない彼女は、それでも周囲の賑やかな雰囲気に驚き喜んでいるようでしたが、暫くすると、僕にこう話し掛けて来たのです。
「サクラノ、ハナガ、キライデスネー」
多分、彼女は、日本語の教科書でも見て、初対面の日本人たちと少しでも話をしようとして、このフレーズを準備して来たのだと思うのです。でも、ただ「キレイ」が上手く言えてなかったのです。
そこで僕は、「『キレイ』は『Beautiful』だけど、『キライ』は『Dislike』や『Hate』の意味になるから、気をつけた方がいいよ」と教えてあげたのです。
しばらく僕らはその場所にいましたが、小一時間ほどで彼女は飽きてきて、帰りたいと言い出し、同僚のアメリカ人男性の別のお店で飲み直そうかという誘いも断って、帰ってしまいました。
その後、相変わらず彼女は日本に慣れなくて苦労している事を友人から聞きましたが、その後会う機会もなかったので、無事に任期を全う出来たかどうか判りません。
後で僕は反省したのですが、恐らく彼女は、せっかく準備して行った言葉がうまく通じなくて、ずいぶん失望したのだと思います。
あの時、僕は無用な親切心でわざわざ発音の説明などするべきではなかったのです。「嫌い」という単語を教えるタイミングではなかったのです。それより、ただただ、ニコニコしながら「ウンウン、キレイデスネー」と返してさえいればそれで良かったんだなあ、と思うのです。
ホームシックを癒すつもりが、ワンフレーズで逆効果になってしまった。
誰かが言ったのを思い出します。「言葉はマインドである」って。その通りだよなあ、とつくづく思うのです。
優しさってコミュニケーションの第一歩なのです。