昨夜、妙な夢を見た。
パチンコ屋にいる。
店の中はやけに静かで、玉の転がる音だけが遠くで鳴っている。
深夜の古本屋で、誰かが一冊だけ本を棚に戻す音のようだった。
ふと横を見ると、隣の台の前に玉が山のように積まれている。
下北沢の古本屋の床に雑然と積まれた文学全集みたいな塊だ。
誰が読むのかも分からない分厚い本が、とりあえずそこにあるという感じで無秩序に積まれている。
どうやらその人は大勝ちしているらしい。
なぜだかわからないが、私はその玉に手を伸ばした。
すると店員が現れて言う。
「それは違法です」
そして淡々と続けた。
「その玉、全部流します」
私は抵抗する。
いや、それはおかしいだろう。
そんな理屈があるか!
夢の中の私は、耳はやたら大きいのに、全然人の話を聞かない象みたいに、その言葉を聞き流していた。
そこで目が覚めた。
朝の光が差し込んでいる。
まだ一日が始まる前の、世界がゆっくりエンジンをかけている時間だった。
起きてから、しばらくその夢のことを考えていた。
たぶん、あれは映画の夢だ。
最近、自分の会社で映画を作れていない。
だから人の会社の力を借りようとか、どこかと組もうとか、そんなことを考えている。
そういう思いが、夢の中では「人の玉」に手を伸ばすという形になったのかもしれない。
映画の世界は、パチンコ屋に少し似ている。
玉を山のように積む人もいれば、台を回し続けてもなかなか当たらない人もいる。
でも、人の玉を見ているうちは、自分の台は回らない。
それは下北沢の古本屋で、誰かの蔵書を眺めながら、自分はまだ一冊も本を書いていないことに気づくようなものだ。
だから結局、やることはひとつしかない。
自分の台に座る。
自分のハンドルを握る。
自分の玉を打つ。
映画も同じだ。
やらない人は言い訳の達人。
やる人は時間を作る達人。






