昨日の土曜日
夫は仕事、息子は部活。
いつものようにひとりでお寺に行きました。
お寺に着くと
本堂ではご住職が法事の準備をされているようでした。
土日ではよくあることなので
気にも留めなかったのですが
外で法事の準備が整うのを待っているご家族ご親族の方たちの中から、一人の女性が私の方に小走りで近付いてきました。
えっ!?誰!?
と一瞬戸惑ったのですが
娘より1つ上の学年の男の子のママでした。
ご実家の菩提寺がこのお寺だそう。
保育園入園前の子育て支援センター時代からの顔見知りで
子どもたちが保育園や学童に通っていた時も、
会えば挨拶を交わしていました。
保育園も小学校も学童も同じだから
娘が亡くなったことを知っているのは不思議じゃないのだけれど
娘のお墓がこのお寺だということも知っていて
ご実家のお墓参りに来ると手を合わせてくれているとのことでした。
昨日も目に涙を溜めながら
『さっき、◯○ちゃんに手を合わせさせてもらったよ』と言ってくれました。
手を合わせてくれることは勿論なのですが
「◯○ちゃん」と言う呼び方が
お友達やお友達のママたち、保育や学童の先生たち、みんなが娘のことを呼ぶ時の呼び名なので
その響きがなんとも懐かしく
学年が違う男の子のママでも
そう呼んでくれることがなんだか嬉しくて温かい気持ちになりました。
だけど…
もしこれが
同じ学年で
女の子のママだったら
私はこんな気持ちにはなっていなかっただろうな…
まだまだ未熟な私は
妬み嫉みの気持ちに支配され
自分の嫌な部分が剥き出しになっていたと思います。
娘にママの嫌なところを見せずに済んで良かった、、、と思ったけれど
でもそれって
隠してるだけで私の本質は何も変わってないってこと。
嫌な部分が顔を出さないように逃げているだけ。
仕方ないよね
逃げるのは生きる術だよね
・・・なんて
開き直って自分を正当化しているだけかな…
気持ちが行ったり来たりです。