今の自分 | 偉人のいないファミリーヒストリー

偉人のいないファミリーヒストリー

自閉スペクトラム症・ADHD傾向の長男、定型発達の次男と、その他家族のファミリーヒストリー。でも偉人は出ません。

長男がまだ産まれる前のことだ。
姉妹で育ち、中高一貫校の女子校出身の自分は、「女の子が産まれてほしい」と思っていた。

ところが、妊婦健診で男の子と判明したとき、男の子なんて育てる自信がないと泣いた。
ピンクや花柄のベビー用品に憧れていたのに、急に産まれてくる子どものもろもろの準備もテンションが下がった。

赤ちゃん用品売り場では、売り場の面積が大きな女の子用を羨望のまなざしで見つめた。

男の子なんか親と出かける年齢も限りがあるし、自分は大人になっても母親や妹と旅行や買い物に行ったけれど、
男の子ではそういうこともないのだろう。
将来はお姑さんになって、子どもの奥さんから煙たがられるのだろう。


クジでハズレを引いた気分だった。


もちろん、産まれてくればそんなふうに嘆いたことを忘れた。
成長の一つ一つが楽しみで、かわいくて・・・

けれど、長男が歩き始めた1歳半からは、育児が大変になった。

なんだか普通と違うような手のかかりようがあったが、
「男の子だしこんなものか」とすませていた。でも、どこかで「?」がいつもよぎっていた。

でも、それは「ワンパク」ということとも違った。

外遊びは好きだけれど、遊具で遊ぶ以外に「柵を行ったり来たりする」。
動物園に連れて行っても、動物よりエアコンの室外機や、檻に夢中。
気に入った場所から離れられず、動物園の順路通りに進めない。

家の近くに散歩に行っても、戻ろうと促しても別の方向へずんずん行ってしまい、家に帰れない(迎えの車を出してくれる大人が、自宅にいないと散歩に行けない)。


発語は標準だった。それに、よくしゃべった。
公園で会ったお母さんに、「たくさんお話しできるのね」と言われた。
でも、コミュニケーションはとりづらかった。
聞いても返事があるときもあるけれど、違うことを話し出すことも多々あった。
たくさん話すけれど、それは人とコミュニケーションをとるためではなかったように思う。

保育園に相談し、子育て支援センターを紹介されたのが、2歳児の時。
しばらく臨床心理士さんと面談し、次男妊娠(つわりが結構合った)と出産を挟んで、総合病院の小児科を受診。
自閉症スペクトラムの診断を受けたのは、3歳と4ヶ月だった。


産まれる性別でグズグズしていた自分が愚かしく思えた。
発達障害は産まれる前はわからない。
産まれてからもすぐにはわからない。

「男の子なんか育てられる自信がない」

長男が産まれる前そう言って泣いた。
ちゃんと、かどうかわからないけれど、男の子を育てている。
しかも、子育てレベルの難易度の高めな「発達障害児」。

地位が人を作る、と似ている。
人はそのときそのときを対処して、自分ができていくのかもしれないな、とこの頃思う。

子どもが発達障害でよかった、などとは思わない。                                                             
だけど、長男が定型発達児ではないから、見えた景色も、知ったこともたくさんある。
長男が定型発達児だったら、今の私がいいかどうかは別として、今の私とは違う私になっていたはずだ。