「いったいぜんたい、おまえはどこへいっていたんだ」
と、ムーミンパパがさけびました。
「わたし?空気をすいに、ほんのちょっと散歩してきただけ」
と、ムーミンママはむじゃきにいいました。
「しかし、おまえ、わたしたちをこんなにまでおどろかすのは、よくないね。わたしたちが夕がた家に帰ってくると、おまえはいつもここにいる――――こういうきまりになっているんだ。それをよくおぼえていなさい」
こう、パパはいいました。ムーミンママはため息をつきました。
「それがたまらないのよ。たまには変化も必要ですわ。わたしたちは、おたがいに、あまりにも、あたりまえのことをあたりまえと思いすぎるのじゃない?そうでしょ、あなた」
トーベ・ヤンソン『ムーミンパパ海へいく』より
「一日何もしなくていい日が欲しい。」
と先日友達が言った。心の奥底からの静かな叫びだ。
「休みの日も、お母さんは休みじゃない。毎日毎日、やることが多すぎて、自由な時間が全然ない。」
そうなのだろう。
休みの日にも、誰かが子どもの世話をしたり、洗濯をしたり、ご飯を作ったり、ゴミ出しをしたり、お風呂の掃除をしたり、しなくてはならない。
そして、その大半をお父さんはしない。そういう家庭が多そうだ。
お父さんたちは、要領よく自分だけの時間を楽しみ、家に子ども達と一緒に残されたお母さんたちは、来る日も来る日も家事に追われる...。
お父さんたちには、お父さんたちの言い分があるのだろうが。
「今日は一日、きみの好きなように過ごしておいで。家のことは僕に任せて。」
さわやかな夫のモノマネ調に、言ってみる。
ハッと、彼女は鼻先で笑った。
「いないよ。そんなこと言ってくれるオトコなんて。」
「そうか~。そうだよね~。」
わたしはうんうんと相づちを打つ。
お母さんになったことのないわたしにできるのは、ただ聞いてあげることだけだ。
「ムーミンママもね、そんなことを言っていたよ。」
彼女は少し笑って言った。
「世界のママに共通の悩みなんだね。」
『ムーミンパパ海へいく』という本には、
「おとうさんというものにささげる」
という作者トーベ・ヤンソンさんの献辞がある、と訳者の小野寺百合子さんは巻末の解説に書いている。(講談社文庫版)
でもわたしの心に残っているのは、冒頭に引用した、ママがため息とともにもらした言葉だ。
日本語になっているムーミンの本はすべて読んだけれど、いつもやさしく家族を支えてくれるムーミンママが、こんな言葉をもらしたのはこの時だけだ。
それだけに、ビックリしたのかもしれない。
ムーミンママも、うちのお母さんと同じことを思っていたんだ!って。
いまだパートナーにめぐりあえず、1人暮らしのわたしは、
自由な時間はいくらでもあるけれど、それはそれで、たまらなくさびしく、心細いときもある。
彼女の悩みが、わたしには少しうらやましい。
彼女も、わたしの悩みがうらやましいのだろう。
いまある自分の幸せにフォーカスしないともったいないな、
と思った夕暮れどきだった。
