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コロナが少し落ち着いてきたこともあり
対面でいろんな人と話す機会が増えてきた。
昔からそうなのだが
知り合い、見知らぬ人関わらず
私は老若男女いろんな人に話しかけられる。
(‥若い男はほぼ無いか)
最近たて続けに
顔見知りのママさんたちからの
愚痴を聞く機会があった。
そこで共通するのは
「負担が多くて気に入らない」という点。
話の詳細を聞いていると
「うーん、それは仕方ないことのような‥」
という内容もあり、
イマイチ共感はできないのが
正直なところである。
ただし、ここで正論を振りかざすのは
適切でないとわかっている。
彼女たちはきっとただ「話を聞いてほしい」のだ。
人の意見は求めていないと思われる。
というわけで、
頭の中で「それはそう捉えるのではなくて
こういう考えもできると思うんだけど」と
反論になりそうなセリフが浮かびつつも
「うんうん。それは負担に感じちゃうよね〜。」
と基本的には共感姿勢。
ただし、同調はしない。
自分の気持ちには嘘はつきたくない。
今回の話を聞いていて思うのは
「負担が大きいことは悪なのか」ということ。
無意味な負担は悪だと思うが
私は彼女たちが不満に感じていたことは
意味ある負担だと思っているし、
自分1人だとまぁ経験できないようなこともあり
楽しさや充実感を得ながらこなしている。
そもそもの考え方の違いもあるとは思うが
可能性として、自分自身に余裕がなかったり
物事を表面でしか判断できなくなると
「また負担かかることが出てきた!」って
条件反射的に捉えてしまうんだろうなぁ。。
私も昔は愚痴っぽかったから
よくわかるのよ‥
その時はやはり精神的に余裕がなかったし
愚痴を吐くことでリフレッシュみたいにも
なってたからね。
だからこそ今のような、
物事の裏側や前向きに捉える考え方が
できるようになって
一瞬みんなが「えーやだな
」と
思いそうなことも
それを楽しいものや充実したものにするには
どうすれば良いかということを
考えるようになり
物事を否定から入ることがなくなった。
でもそれはやはり心身の余裕が
あるからこそできるのかなと思う。
世の中にはいろんな人がいて
いろんな考え方があるんだなぁ、と思うと同時に
愚痴は当該事象だけに対してではなく
生活全般対して不満に感じることが多い場合に
大したことじゃなくても
何でもが不満として出てくるものだと思っている。
みんながもう少し心身の余裕が持てる
社会になればいいな、と
感じる今日この頃である。
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