よく晴れた午後の日、小竹向原を散歩しているとシマウマに会いました。周りには人がいなかったし、僕がどうしていいか戸惑っていると、シマウマは大きな口を開けて言いました。


「こんにちは。どうも奇遇ですね。僕はシマウマと言います。僕の体はとっても大きいのでもしかすると驚かれたかもしれませんが、心配なさらないでください。危害を加えたりしないですから。そうだ、驚かせたお詫びにプレゼントを差し上げます。どうです、いかがでしょう。」


僕はシマウマと人間のプレゼントの概念がずれていないかを確かめるために、何がプレゼントなのか尋ねた。干し草をもらっても僕は何も嬉しくない。


「限りなく100%に近いプレゼントです。それはあなたの欲望を満たしてくれる物です。ご存じでしょうが、この世に完全な物は存在しないのです。完全な物のように見えているものは、その一面にしかすぎないのです。完璧な音楽が存在しないように、完璧な愛が存在しないように。そして私からのプレゼントは目には見えません。あなたの中にプレゼントをきちんと入れて置きましたから。それでは、またお目にかかりましょう。」


僕は翌朝、小竹向原にて散歩をした。そして仕事を辞め、彼女と別れた。持っていたすべての小説を捨て、シューベルトやサザンオールスターズを聞くことを止めた。


そして僕は、新しい仕事を見つけ、新しい彼女を見つけた。三省堂でディケンズと上野千鶴子のフェミニズム論を買い、YMOのCDを聞いた。


そこには限りなく100%に近い僕がいた。100%ではない部分を追い求めながら、僕は限りなく100%に近い生活を見つけた。不完全な何かが合わさった、満たされた生活は僕を概ね満たしてくれた。

日本にあるのかは分からないけど僕は1度か2度、ヌーディストビーチに行ったことがある。


作家のM氏も(わざわざふせる必要はない)も同じことを言っていた気がするけど、これはかなり不思議な体験である。


ヌーディストビーチといってもみんなが脱いでいるわけではない。100人いたら1人くらいじゃないだろうか。


実際に裸の人がいるのだ。何もつけず、悠然とビーチを歩いている。


しかも、若い女性でスタイルもいい。残念なんて言葉はまったく似合わない人が多い。


そういった光景を見て何かしら興奮したりするのかというと、まったくしない。


たぶん、みんなしないんじゃないだろうか。


出会ったとき、はっと時間が遅くなる。それは街中で山崎まさよしとか有名人をみかけることに似ている。


でも裸の女性はそこにいるのが当たり前のように振る舞い、根づいている。


なにかしら人間の原初状態はとか、服とはけしからんとか少し考えてしまう。


江戸時代の絵(春画ではない)なんかをみると、人々は街中で文字通り裸で生活している。


裸で野菜を売っている人なんかをみるとほのぼのしてしまう。


アインシュタインか誰かが、常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションと言っていたがまさしくその通りである。


服を着るのも偏見かもしれない。


現代の日本では公共の福祉とか刑法あたりに接触して裸という選択肢はないけれど。


まぁ僕は未来永劫、着ないというラディカルな考えは持たないですけどね。

友人に触発され、私たちも考えてみることにしますか。お題は


自由です。


最初は愛にしたかったな笑


あまり引用は含めず、ダラダラ語り。この日記が響きあうといいな。


現代において自由とは必要不可欠なもので


我らが日本国憲法においても


13条に個人の尊重という考え方が明記されている。


さらに基本的人権の尊重、自由権なるものが認められていて


権利はしっかり保障されている。


でも、実情はどうなのか。


基本的人権とは生来の権利であるはずだ。つまり生まれてすぐに手に入れるものだ。


しかしながら、いきなり義務教育という相反する義務が生じる。


実際、7歳の子が自己判断を下し、自由を求めることはかなり難しいかもしれない。


義務教育とはいわば妥協が生み出した必要悪である。と私は思う。(だからこそその在り方だ問われるのだ)


では大人といわれる年齢の人たちが抱える自由への壁とはなにか


ずばり、納税の義務、労働の義務、子女に教育を受けさせる義務などである。(憲法を手元に参照しながら書いているわけではないので、もう少しあるだろう。)


なにが問題かと?


だっていつ私たちは国家と契約を結んだのだろうか?


契約とは人と人が自発的に結ぶ約束事のことだと思う。


アルバイトは雇用者が条件を出し、それに対して従業者が条件に合意する。これが契約なのだ。


しかし、私たちは国と契約を結んだ記憶はない(もしかしたら公務員はその対象ではないかも)


これは、ロック、ルソーの唱えている人民主権に反するのではないか。契約もしていないのに、人のお金を納税というシステムによって強制的に盗んでいいはずがない。


お金がないと国は滅びる。そうなると安全は保障されないし、年金もなくなると反論するかもしれない。


しかしだ、誰もが年金を欲しいと思っているわけではない。自発的に俺はいらないと思う人もいるかもしれない。


そういう人々にとっては納税や国民年金制度は泥棒と同じかもしれない。


国家は安全(警察など)とインフラのみを提供し、福祉サービスは任意加入にするべきだと私は思う。(否国民皆加入)


国家は利便と引き換えに自由を奪っていると言う見方もできる。


かなりの極端論ですね笑。でも自由とは何か。そして果たすべく権利とは何か。もう少し考えてみたいですね。