最近、雛人形を出した。
私の雛人形はお雛様とお内裏様が一対のみの至ってシンプルなもの。私が生まれた時に母方の祖父が送ってくれたものだ。
そんな思い出深いものを出す度に祖父の最期を思い出す。
忘れもしない、祖父が無くなったのは私が中学三年生の七夕直前だった。妹が書いた七夕の短冊には『おじいちゃんの病気が良くなりますように』と物悲しい、叶いもしない願いが綴られていた。
祖父が亡くなったと知っても私は涙が出なかった。悲しくはあった。でもなんとなく実感がわかなかった。
祖父と最後に会ったのは当時から遡って二年ほど前で、物静かだった祖父との思い出はあまり持っていなかった。母の口から語られる祖父は世間一般の良い父親で、幼心ながらに自分の父親もそうであればよかったのにと思ったことを覚えている。
実感がわかぬまま、冷たく動かなくなった祖父を見た。ぼんやりとお経を聞いて、周りと同じようにお焼香をして、翡翠色の数珠を握りしめた。
出棺前、私が棺に百合の花を入れた際に母が涙を零したのを今でも鮮明に覚えている。私が死んだ時もあなたはそうやって涙を流してくれるのだろうかと思って。
父方の祖母から貰った雛祭りのお菓子たちを雛人形の周りに並べている時、祖母も祖父と同じように私の前からあっさりと消えて居なくなってしまうのだろうかと考えて無性に寂しくなった。祖母とは祖父と作れなかった分、より多くの思い出を作りたい。でもきっともう残されている時間はそう長くはないだろう。私の寿命を分けられるのなら私は周りの人間と同じだけの時間を生きていたかった。
祖母にお菓子の感想でも伝えに行こうか、なんてふとそんなことを考えた。