「衤」(ころもへん)と「礻」(しめすへん)について | ボラとも先生のブログ

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このブログは日本語ボランティアを始めた人、やっている人が疑問に感じたこと(特に文法など)について説明するために作りました。

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ボラQ181:「初」という漢字について質問されました。左側の「衤」はなぜ「社」の左側の「礻」と違うのかと聞かれました。あまり気にしたことはないんですが、確か「初」の「衤」は「ころもへん」で、「社」の「礻」は「しめすへん」で、違う漢字だからそのまま覚えるように言ったのですが、できればもう少し詳しく説明してあげたかったと思いました。何かいい方法がありますか。

 

ボラとも先生A181:漢字の字源については以前の記事で何度か(No.20No.33No.44No.53No.100)触れましたが、漢字の字形を正確に覚えるのには部首の字形と意味を簡単に説明してあげるのもいいと思います。

 

ただ、以下のネットの書き込みのように、「「しめすへん」が「ころもへん」になっとってもえぇやん、別に読めるんやし」という意見もあることは、漢字の「不毛(または不要)な知識からの解放」という観点からからも注目に値します。本記事の内容も「不毛な知識」かもしれないと思いながらお読みください。

 

https://matome.naver.jp/odai/2140679113412883901

 

上記のネットにも書かれているように、「初」の「衤」は「衣」が左側に配置された、つまり「偏」になったために縦長に変形されたものであり、「社」の「礻」も同じように「示」が「偏」になって縦長に変形されたものである、という説明だけでも役に立つと思います。

 

ちなみに、こうした字体の変化を「隷変」と言います。つまり、「篆書」(てんしょ)から「隷書」(れいしょ)への漢字の字体(フォント)の変化ですが、なぜ隷変が起きたかという理由については、英語の筆記体と同じように書くスピードを上げるためだったと説明すればわかりやすいと思います。

 

ついでに、「衤」や「衣」があれば衣服に関する意味になることが多く、「礻」や「示」があれば神様や宗教に関する意味になることが多い、ということまで説明してあげれば、「衣部」や「示部」に属する漢字を覚えるときに役に立つと思います。

 

ただし、以下の大修館書店の「漢字Q&A」というサイトを見てもわかるように、漢字の知識は無限と言っていいほど膨大なものなので、日本人でも十分に使いこなすことはできないわけですから、生活に必要な知識に限って覚えるという態度も必要ですし、ボラQ181さんのように聞かれたことに対してその場で最小限知っている範囲で答えてあげるという対応でも十分だと思います。

 

http://kanjibunka.com/kanji-faq/new-faq/

 

たとえば、「社」の“部首”は「礻」なのに、なぜ「初」の“部首”は「衤」ではないのかという問題を説明しようとすると、漢字の成り立ち・字源や部首、字書の歴史についてかなり知らなければ説明できないことがわかります。

 

私自身も「初」の部首が「刀」(かたな)だということはこの記事を書くために辞書を調べるまで知りませんでしたし、部首でない「衤」を「ころもへん」と呼ぶことには今でもかなり抵抗を感じます。

 

こうした知識は、「初」と「社」の2文字に限っていえば本当に余計な知識ですが、問題は、「衤」という偏を持つ漢字が小学校だけで「初、補、複」の3字、常用漢字では「褐、襟、袖、裾、被、裕、裸」の7字、さらに「衣」という字形を含む漢字まで考えると、小学校だけで「表、衣、製、裁、裏、装、裏」の7字、常用漢字では「襲、衰、袋、衷、褒、裂」の6字、全部で23字もあるということです。

 

日本の漢字教育では「学年別漢字配当表」によって小学校で習う漢字1006字が学年(年齢)によってだいたい決まっています。また、字源や部首についての学習もそれほど徹底していませんから、「衤」という字形を持つ漢字が4年生になって初めて出てくることもあって、「初」の部首が「刀」であることはあまり知られていないのではないでしょうか。

 

以前の記事(No.100)でも少し触れましたが、“偏”と“部首”の混同は偏が部首になる漢字が全体の過半数を占めているために起こる勘違いですし、そもそも部首による分類というものは不確実な字源や意味によるものが多く、歴史的な字形変化によって字書編纂者の判断によることも多いために、あまり重要視することもないと思います(興味のある方はWikipediaの「部首」の項目をご覧ください)。

 

それぞれの部首が持つ意味の簡単な説明はほとんどの漢和辞典にありますから、そうしたものを参考にすれば十分だと思います。特に小学生用の漢和辞典なら、絵やイラストがありますし、説明の日本語も子供向きなので楽しく勉強できるかもしれません。

 

私の好みは『小学生のための漢字をおぼえる辞典 第四版』(旺文社、2011)です。すべての漢字にフリガナがついていて、挿絵がカラーで、五味太郎のかわいいタッチが気に入っています。ただ眺めているだけでも楽しくなります。

 

しかし、漢字の成り立ち・字源についての解説は辞書によって違っていることが多く、そうした解説にも納得できるものとできないものがあるので、どのような説明を採用するかは、調べる内容や教える意図によって変わってきます。

 

ちなみに、上記の『漢字をおぼえる辞典』では「衣」のなりたちとして①のように説明しています。

 

①きもののえりもとの形からできた字で、「ころも、きもの」の意味を表します。

 

ただし、「ころも」ということばは、現在の日本語では季節の変わり目の「衣替え」や天ぷらの「ころも」などにしか使わない古いことばなので、日常会話ではあまり使わないことも知っていたほうがいいと思います。

 

その代わりに日常生活でよく使う衣服の「服」(ふく)は古語では「喪服」の意味で使われていて、衣服という意味で使われるようになったのは近世のことだろうと思われますが、『漢字をおぼえる辞典』では②のように説明しています。

 

②月は舟の変わった形で、「ふね」を表し、𠬝がフクという読み方と「したがう」いみをしめしています。もと舟の両側に付ける板を表しましたが、のちに着る「ふく」のいみに用いられるようになりました。

 

なぜ「服」が衣服の意味になったかについては説明されていませんが、『字統』(白川静、平凡社)で「服」を調べてみると、最初は降伏の儀式を指していた「服」が、献上品の意味になり、そのなかでも特に貴重品の「衣服」を指すようになったようです。これは「花」が「桜」を指すようになったのと同じ用法だと思われます。

 

②の説明で「𠬝」がフクという読み方と「従う」という意味を示していると書かれていますが、「報」は形声文字ではないため読み方はフクではなくホウです。これはあまり利用できませんが、「従う」という意味は「卩」と「又」の組み合わせから説明できます。

 

つまり、「卩」は「人」の字を変形させて1画目を直線「丨」に、2画目を直角に曲げた形「」にして、頭を下げてお辞儀をしているのを後ろから手「又」(∋—)で押さえつけている形であることから、屈服させることを表しているというわけです。

 

ちなみに、「衣」の字形には偏(左側)の「衤」以外にも、「表」や「裏」のように上の部分の亠と下の部分に分離した字形があるということも知っておくと便利です。こうした分離形については学校では教えることがあまりないため、知らない人も多いと思います。

 

たとえば、「表」は「衣」を上と下の部分に分け、間に「毛」を挟んだ字形が字源ですが、昔の服は獣の毛皮だったので、毛のある外側が「表」であり、毛のない側の「裏」は、内部という意味の「里」を「衣」の上と下の部分の間に挟んで作られたそうです。

 

また、「衷」と「衰」も「衣」の上下が分離した字形ですが、『常用字解 第二版』(白川静、平凡社)によると、「衷」は「衣」の間に「中」を挟んだ字形で、中に着る「肌着」のことで、「まごころ」を表し、「衷心」のように使うそうです。「衰」は死に装束を意味する「衣」の間に「冄」の形の麻の紋章を挟んだ字形で、もとは「喪服」の意味であり、葬儀の期間はふつう行う祭事を少なくすることから「減らす」「衰える」という意味になったそうです。

 

部首は違いますが、上記の『常用字解』によれば、「卒」も死者に着せた「衣」の襟を結び留めて、死者の霊が離脱したり、邪霊が入り込むのを防ぐという意味から、「しぬ、おわる、つきる、ついに」という意味になったそうです。90歳の誕生日を「卒寿」というのは、「卒」の意味とは関係なく、「卒」という漢字の略字「卆」が「九十」と読めることからきているようです。

 

さて、また「不毛な知識」かもしれませんが、「初」(=衣+刀)の成り立ちを『漢字をおぼえる辞典』で見てみると、③のように書かれているのに対して、『常用字解』では④のように書かれています。

 

③衣と刀からできた字。着物を作るのに先立って、刀でぬのをたち切ることから、「はじめて」のいみに使われます。

 

④会意。衣と刀を組み合わせた形。刀(はさみ)で布を裁ち切って衣を作るの意味である。初めての衣を作ることで、赤ん坊の産着として着せる着物を作ることをいう。産着を作るときに、衣をはさみで初めて切る儀式があったのであろう。

 

③と④の説明は似たような説明ですが、④は「刀」を「はさみ」と言い換えたり、「衣」を「産着」と説明しているので、③の単なる「刀」や「着物」よりも具体的でわかりやすい説明になっています。

 

最後に「示部」の「社」の成り立ちですが、これについても⑤の『漢字をおぼえる辞典』の説明と⑥の『常用字解』の説明を比較してみます。

 

⑤礻(示)は神を表し、土は土地をさしています。もとシャと読んだ土が読み方をしめし、「土地の神、神をまつるやしろ」のいみを表す字です。また、そこに人びとがあつまったことから「人びとのあつまり」のいみにも使われます。

 

⑥形声。音符は土(ど)。土は古く社(しゃ)の音でよまれ、社のもとの字である。土は土をたて長の饅頭型にまるめて台上に置いた形で、土主(土地の神。くにつかみ)の形である。甲骨文字には小点がついた形(図:甲骨2)があるが、土主に清めの酒をふりかけている形である。土主のある所が、「やしろ(神を祭る所)」であり、土主に酒をふりかけてこれを拝んだのである。やしろは、もとは建物を建てたり、屋根で覆うことはなかったのである。示は神を祭るときに使う机である祭卓の形であるが、土がつち、つちくれ、大地などの意味に使われるようになって、土に示を加えた社が、もとの「やしろ」の意味に使われるようになった。山川叢林(低木の密生した林)の地はすべて神の住むところと考えられ、各地の土主の上に木を植えて祭ることが多かった。のち建物を建て、そこに神を祭るようになり、神社(神を祭る建物)という。のち社を中心とした人々の集団が作られるようになり、結社(共同の目的のために作った団体)・会社(営利事業を目的とする社団法人)のように人々の集団の意味に使う。

 

これも説明に使われている日本語が理解できれば⑤より⑥のほうがわかりやすいと思いますが、「不毛な知識」と「知る喜び」との間の心のせめぎ合いを考えながら説明してみてください。