一難さってまた一難

職場で祝祭に参加していることについて、○○兄弟に今月中に近づいてほしいの。あなたのためよ。あなたのため。

と、同じ職場(別部署)で働いている姉妹から言われましたん


豆鉄砲食らった感じで、は、はぁ。という感じで終わり、
今日集会だったので、その姉妹に何がいけないと思ったのか、教えてくれないかとたずねてみたら、出版物を読んでみて。とのことでした。

後は、同じ職種の姉妹は、企画とか準備はするけれど、その行事が行われる日には、仕事を休むと言っていたので、とも言われました。



よくわからないので、長老に話しちゃってください。といったところ話されたそうです。


その後私を含め、両親。長老二人。でなんだか話し合い。


その姉妹が、私の何を見て、黙っているには耐えない罪を犯していると感じたのか、長老に尋ねるも、その段階ではないので、話せません。


とりあえず、姉妹が言っていた資料を見てみて、思い当たる節があれば……。
なければ、それでいいのでは?ということに。


私はいったい何をしたというのでしょう?
証拠は?

わっかんない。


そう感じたときに、なぜ、私に意見をしようとしなかったのでしょうか。
なぜなぜなぜ。何ですが、


とりあえず、資料を読み、思い当たる節がないのならその姉妹に近づいて聞いてみてください。
ということになったんですが、
無理です。

怖いもん。


もう、不のオーラとか持ってて、怖いんだよ。

いやー。


なら、月が終わるまで何のアクションもせずに待てば。という手もあり、あぁ、もうそれでいいやと思って。


だから、どうでもいい。


まぁ、もうそういう行事も後一回だから、ごめんなさい、わかってませんでした。心から悔い改め、次からしません。

で、やらなければそれで問題なし。ってなるとも思うんだ。



面倒だよなぁ。
ある意味私の落ち度でもあるけれど、なんか残念だわ。
 こんにちは。

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 かぜなど引いていないでしょうか?


 実は、今私のいる会衆は巡回訪問中です。
 当たり前ながら、母は巡回監督に私が学校へ行くかもしれない(そのときはまだ合否不明だったので)という話をしました。


 まず、私の立場が、不活発者(奉仕にずっと出ていない人)であること、バプテスマを受け、自分を、JWの活動に捧げると、書面契約ではないものの、約束をしている身であること。
 そして、すでに高校を卒業して三年が経っていること。


 これを念頭に置くと、学校を受験すると考えている時点で長老に話をして相談をしておくべきだったんだそうです。


 なぜかというと、巡回監督の言っていた話では、大学教育等を選んだ若者たちがことごとく離れていってしまっているのが、今の日本の現状なのだそうです。
 それはなぜかというと、日本人とは、知識を蓄えることにはすごく関心があって、勉強をする。だから、二世とかもそうやって勉強するけれど、信仰が育たない。



 協会が出している出版物も、キリスト教系の国向けに作られた研究用の資料と、日本などの、多神教だったり、仏教系の国向けに作られたものに分かれていて、それで、時代によって、何を研究資料として使うかによって、信者の増え方に変化があるとのことでした。


 具体例を挙げれば、キリスト教系→知識の本など……
          日本→あなたも地上の楽園で永遠の命が得られます・見よ!など……


 ちょっと余談でしたかね(笑)



 雑誌等で、高等教育はNG、職業訓練校など、仕事に結びつく技能を学べる学校は、もしかしたら必要かもしれない。

 ということが教えられていますが、それを読み違えて、四年制大学も、仕事のための技能を学べるなら、OKと思った人がいたようです。という言い方を巡回監督はしていました。


 確かに、今から十数年前、高校生だった、今は開拓奉仕をしている姉妹とその母親は、その記事を読んで、四年制の大学に医療関係の資格をとりにいったそうです。

 私の会衆では、一貫して四年制の大学はNGといっていましたので、そんなことはおきなかったのですけれど。
 いわゆるローカルルール問題が起きていたみたいです。



 そして、巡回監督いわく、学校へ行って資格をとっても、きちんと働けるようになるまで、全時間で働く必要があるものがほとんどである。ということでした。


 そこで、重要になってくるのが、動機です。もし、JWをやめるために学校へ通うというのなら、お金を出したり、色々してあげるのは、離れようとすることを促進、手助けしていることと同じになる。JWとしてやっていくために学校へ行くのなら、そうはならないかもしれない。


 だからといって、家を出て行けといって親側が、子供を出すのは、絶対してはいけないことなんだそうです。そして、家を出すための援助もNG  理由は簡単。離れるのを促進する行為だから。



 いずれにせよ、子に対する親の責任は家を出ていようが、一緒に住んでいようが、ずっとあり続けるもので、もし私を学校に行かせるなら、家族に責任が問われ、持っている特権がなくなることもあるかもしれません。

 今の仕事でも、何とかやっていけているのですから、さらに資格を必要とするのは、どんな理由なのか、母は勝手に、お金のため物資主義に走っているから、謙遜さが足りないから。と私に言ってきましたが。


 姉妹(母親)の開拓者という特権がなくなるかも知れません。
 と、母は言われたそうです。


 開拓をおろされることに関しては、母は、別にかまわないし、開拓奉仕しなくていいなら、こんなにうれしいことはないけどね。といっていました。

 ただ、学校に入れることで、私が離れるのを促進する手助けをすることになるとわかっていながら、そうすることは、できない。そう言っていました。

 おそらく、ここが母の良心的問題なのでしょう。


 この際だから、排斥にしてもらっちゃうか!なんて母は言ったりしてまして、そうなったらなったで考えなくちゃなーと思っていました。
 正直なところ、私の一番の恐怖は、「家を出て行け!」と言われることですから、それがなくなれば、もう何の問題はない。というぐらいの考えなんですけれど。



 学校へ行くことで起きるいろいろな変化、それに私は抗わないことにしました。

 生き方を変えるということは、そのほかのことも変化することは必然で当然のことだから。


 とりあえず、伝家の宝刀を抜くことにしました。


 学校に行く、そしてJWとしても、集会に出て、あと、研究もするかも?しれないということで。今までとっておいた最後の砦ですが、ここで出すしかないでしょう。とそう思いました。


 親をだますのは心苦しいかな、とも思いましたが、それが親の良心のためだと考えることにしましたし、聖書や、出版物というフィルターを通してでしかかかわってこない彼らに、こちらが馬鹿正直になる必要もない。そう結論しました。


 また、言っていることが助言とともに変わる、人の考えを聞きもせずに決め付ける。ひいては脅しと、脅迫を持ってしか対話をすることができない彼らを、私はどうすることもできない。

 自分の無力さを味わったからです。


 私がもっと賢かったら、心が強い人間だったら。もっと早くに覚醒していれば。とか色々思いましたけれど。

 「ドアカルト」の著者も書いてましたが、理論武装が私には必要なんだと前から思っていたんです。


 そのためにも、一度はじめからJWを調べなおします。
 研究を担当してくれるかもしれない姉妹には悪いかもしれないけれど、利用します。


 中途半端な知識と信仰の処遇を決められたらと思っています。

 皆さん、今後ともよろしくお願いいたします。
 お久しぶりです。


 受験していた看護学科に合格しました。


 これから、進学へ向けて準備に取り掛かろうと思います。




 ここまでたどり着けたのも、ひとえに皆さんの応援、支えのおかげです。
 背中を押してくれた方々。本当にありがとうございます。
これなーんだ!!


$IzakKaYA-Min-


ちょっと器とかが、残念なんですが、まぁ、もともと、見た目が残念に見える人がおおいです。


若い人は苦手な人が多く、あと、慣れ親しみが薄い人には、●●にしか、見えないらしい。www
 「ドアの向こうのカルト」

 N氏に、購買意欲を持ってもらうように、感想文を書いてみましょう的な?


 いやいや、正直なところがただの遊び心です。


 とはいえ、半端な感想文を書くわけにも行きませぬので、そこはある程度まじめにね。


 この本は、1月18日に発売でしたでしょうか。


 事前予約をしていて、19日の土曜日に届いた気がします。
 仕事も休みだったので、その日のうちにばーっと読みました。


 読み終わって、なぜかこんな思考になっていました。

 解約したら、家族と平和な関係ができるんかなぁー。なんて。


 なんて、何て安易な!!!
 私、簡単に影響を受けやすい人なのです。
 かといって、家族を解約しに行ったわけでも、資料を印刷したりしたわけでもありまへん。

 ただ、辞める過程で出てくる色々な思考、葛藤、矛盾とか、私が忘れていたこととかまできちんと書いてあって、一つ一つ考えるのが辛くてある意味適当に区切りをつけていた部分を、きちんと考えたら、こうなるって言うお手本みたいなのが載せられている。そんな感じを受けた。


 著者が家族の解約に踏み切った、母親の解約に踏み切った理由が、

 母親自身が、息子が宗教を辞めたストレスで死んでしまうのではないかと心配した。

 と、そう書いてあった。

 ここからは私の、妄想なのだが、親の、子に対する愛情は良くわからないけれど、もし親がJWを辞めるといった場合。
 まぁ、これは実際覚醒していないが、父親が何度か言って、集会に行かなくなったことがあった。

 そのとき、私が思っていたのは、たとえ父親が辞めようとも、兄母が辞めようとも、私は自分ひとりでやっていこう。とかって、思っていた。

 ある意味、非常事態におかれて、私の脳が、アドレナリン(興奮物質)を出していたのかもしれないが、たぶん、心のどこかではそうなることをちょっと期待していたのかもしれない。

 きっと、人から良く見られたい、とか、ほめてもらいたいみたいな欲の現われだったんだと今ではわかるけれど。

 だから、組織が間違ってるー!何て、人から言われたって、信じなかったと思う。
 まあ、今だって他人と戦えるほど、論理を固められているわけじゃない。

 だから、こういう私は、中々解約作業しよう、と相手に思わせる人ではなかったのかなと思う。

 子どもだからかもしれないけれど、お父さんがJWとして歩むのを辞めてしまったら、何の意味も無い。心配で心配で眠れない。そんな風には思えないから。
 きっと、これが親→子と、子→親にある、情の差なのか、私がおかしいのか。

 私だったら、家族が自然消滅しようが、何しようが、もしかしたら、そうなるにつれて、どんどんJWにのめりこんで行っただろう。排斥とか、断絶とか、はっきりとした立場を取ってくださいとかって、言わないだろうなぁ。と。家の中で無視はしただろうけれど。



 なんにせよ、著者は、親の中にある子への情を汲み取ったんだと私は思うし、親への情があったんだろうなー。とそう感じたしだいです。



 私も、こういう考え方を見に付けたいなーと思っているのが、理論なのか、主観論なのか。

 教義の理解や、さまざまな矛盾に対する、JW的解釈の仕方が、主観論によってかなりの部分支えられていると、著者は考えているようです。

 詳しくは、本の、後ろのほうをご覧ください。

 もしかすると、この主観論が何たるかを人に説明できるくらいわかれば、あれこれと言い訳を言う彼らのおかしさをわかりやすく述べることができるようになるのかな。と勝手に思いました。
自己満でしかないことかもしれないけれど笑




 確かに、著者は、べテルと言う、いわば、特殊な環境で生きてきたJWであるし、海外等で暮らしてきた、いわばイレギュラーな存在かもしれない。
 けれど、悩み考えたことは、どの信者だった人とも同じなんだと思う。
 実のところ、読み飛ばしてしまったところもあったりする。だから、これは偏った感想になっているかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 あと、心に残っている話がある。

 ゲイの兄弟の話だが、初恋からして、自分は女性が相手ではなかった。とそう打ち明けていたと言う。
 改めて考えると、同性愛への忌み嫌う様子は、過剰かもしれない。まぁ、忌み嫌うようにと教えられているのだから、そう反応するのだろうけれど。
 でも、性別はどうあれ、人を好きになると言う感情を持てる。これってすばらしいことなんじゃないだろうか。
 そういう気持ちを持ったことの無い私からすれば、よほどまともだと、そう思う。

 これ以上色々言葉を重ねると問題になりそうだから、これぐらいにしておくけれどwww

 後、共感したのは、「どうせ人の評価は変わるのだから、長老と親の言うことは絶対に聞かない」

 ここからはまた私の妄想だけれど、世の人は、言うだけで、何も助けてくれないよ。と言い聞かされてきたのだが、なんの何の。あんたらのほうが、言いっぱなし、やりっぱなし、責任もとらねぇよ。ま、それもそっかー、タダでやってんだもんね。と、思いましたわ。私はね。


 あと、期間限定で、解約を頼めるサイトが立ち上がっているそうですね。

 料金を取ることに、賛否両論あるみたいですが、確かに、見たときお金とるんかーって思いましたけど、デモね。
 今のところ私が思っているのは、JWをやってきたから、お金を取らないって言うのが、当たり前の感性になっているんだろうなーと。



 タダでやれるほど、楽なことじゃないし、そういう大変なことを、タダでしてもらえるなんて思っているほうが、あつかましいんじゃなかろうか。ってね。

 だからさ、タダで相談に乗ってくれるところがあれば、それはそれでありがたく思うべきなんだなぁと、考えさせられたのです。私はね。

 もちろんお金を取るからには、きちっと対応してくださるのでしょうし、何せ、何人もの人を解約した手腕は、本物だと思いますから。

 真理真として持っていたサイトを辞めたときの考えを読めば、こういう結論にたどり着くのかなぁって感じもしますがね。



 こんな感じで、書きなぐりの、順序ずれまくりの感想文ですが、いかがでしょうか。