今日は、私の大学院の同期の研究科で、他専修との交流を深める飲み会が開催されて、参加してきた。

やはり、色々な人と知り合いになれる機会というのは貴重だ。

同じ研究科に、研究をする同志がこんなにいたのかと思うと、なんだか嬉しい。

飲み会の席の空気は、すぐに和気あいあいとなり、良い飲み会であった。



なのだけれど…。

残念ながら、今回の飲み会は、私には、また、理科系の人間のイメージを下げるものとなった。

というのも、目前で堂々と「教育学」を侮辱されるという実に腹立たしい振る舞いを受けたからだ。

おそらく、それを語る当の本人には、全くそのような悪気はないのだろうが、勝田守一氏のいう「総合的な人間学としての教育学」という理念を教育学者のアイデンティティと考える私にとっては、「教育学」を科学教育涵養の装置とみなすような彼の話しぶりは、実に不快なものだった。

そして、教育方法学を先進技術伝承の道具とみなすような安直な「教育学」観には、激しい苛立ちをおぼえた。

そして、何より、自分の学問の「奥行きの深さ」ではなく、「研究領域自体」をひけらかして鼻高々になる、学問をする者として実に愚かな喋りにうんざりした。

確かに、私もかつて、同じようなことを考えていたことがあった。

卒論提出が迫って追い詰められていた時期。

リベラリズムの研究をしているということそれ自体で「自分はすごいんだ」と言い聞かせていた。

だけど、学問というのは、そういうものではない。

マックス・ウェーバーは、『職業としての学問』の中で、学問の領域それ自体に価値を見出すことの不可能性を説く。

その理系の彼の誤謬は、彼の学問に向き合う姿勢ではなく、彼の学問それ自体の神秘性を鼻にかけてしまったことだ。

そして、「教育学」という学問を、自分の学問に従属する劣位なものと位置付けてしまったことだ。

人間科学としての「教育学」を志す者の誇りとして、あのような言い草は、実に許し難い傲慢だ。

あー気分わり…。



なんだか、久々のブログが、愚痴になってしまったな。

まあ、今日だけは許してくれ。

実に腹立たしかったものだから。

おわり。

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