私がココアを飲みたくなるわけ
冬になるとココアが飲みたくなる。
私が飲むのは純ココアをお湯だけでといてストレートでいただく。
時々、豆乳や牛乳ベースになったりする事もある。
だいたいココアはバーンホーテン
・・・ああ、土鍋のミルクパンの吹きこぼれをなんとかしたい。
あとはなんとなく、生理の時とか相性がいい気がしている。
コーヒーだとなんだか強すぎるのよね。とくに胃腸にね・・・
ココアの効果メモ
たんぱく質
運動後◎アミノ酸の一種であるアルギニンが含まれている。
疲労回復効果◎激しい筋トレなどを行うボディービルダーの方が筋肉の疲労を取り除くために摂取する成分の一つと言われている。
脂質
糖質
リグニンは食物繊維
便通を促進◎体臭や便臭を軽減する効果◎善玉菌増◎。肌荒れやニキビ予防にも◎
カルシウム
ナトリウム
マグネシウム、鉄分、亜鉛
貧血改善!傷が早く回復◎
ポリフェノール
抗酸化でアンチエイジング◎
脳細胞の損傷を防ぐ◎認知症やアルツハイマー病の発症を減らす効果◎ココアには集中力や記憶力を高める◎ストレスにも◎
テオブロミン
デブ抑制◎認知力が上がり頭が良くなる◎集中力や記憶力をアップ◎
セロトニンとも仲良しなのでリラックスやストレス解消◎
自律神経調整効果◎カフェインよりも穏やかに作用◎
そのた
ショウガよりも長時間に渡って体を温める効果◎
新陳代謝を促進◎
虫歯や歯周病に対しての抗菌効果◎
糖尿病予防◎
寝る前◎
カフェインはドリップコーヒーの半分◎
空腹時◎
「ものたりない」を自由に
満足を超越すると不快が訪れる。
「ものたりない」までがデザイン
もっと、もっと、もっと良くなりたいという欲求は
裏を返せば、自分のここが足りない、ここが悪い、ここが嫌だって思いになっていないだろうか?
物足りない欠乏感が不幸で惨めだと思っていないだろうか?
自分を苦しめていないだろうか?
苦しむ事で救われると勘違いしていないだろうか?
30年生きてきて、女友達とケーキ屋巡りをしたのは初めて。
なんて素敵で有意義な一日を過ごせたのだろう。
5つのパティストリーをめぐり5個分のモンブランを2人でシェアしながら美味しいコーヒーを飲む
気の合う友達との弾むトークと、十分すぎるほどのケーキを目の前に、
ささやかだけど夢にも思っていなかった華やかな幸せを感じた。
しかし、おいしかったケーキが次第に甘っとろく感じ、次第に受け付けなくなり、塩気を欲するようになった。
更にはケーキが視界に入るのも不快になってくる、あんなに楽しみにしていたケーキなのに。
元々自分の一日のケーキの限界は3個と知っていたが、友達と一緒に食べるならきっと大丈夫だと楽観的に考えていたが、思った以上に早く限界が訪れたのだった。
見かねた友人が和風だしの利いた暖かいかけうどんを作ってくれたのだけど、そのとき味わったお出汁のすばらしさに感動した。
その瞬間、元カレの事を思い出した。
とても優しくて、思いやりがあって、私だけを見ていてくれた、穏やかな元カレ。
ただあまり出世意欲がないし、ギラギラした一面が一切ない人だった。
お金をたくさん稼ぎたいという雰囲気が一切感じない、いわゆる草食系
私はそんな彼の事を「ものたりない」と思っていた。
関係が安定してくると彼と「意識高い系」なトークがしたい。
将来やりたい事を情熱的に語りたい。2人で海外旅行にいこうとか
自分のアイディアや考えに対する論議をしたいなど考えるようになってしまった。
しかし、そう願えば願うほど、要求が自分の態度ににじみ出てしまい
次第に彼の心は私から離れていってしまった。
あれから数年、今私の頭の中を締めるのは「好きな事を気楽にやりたい」
そういば「やりたい事で悩みたい」と言っていた10年前
あの頃の望みは叶えられた。
それなのにどうして「好きな事を気楽にやりたい」なんて思っているのだろうか?
それと同時に、あのとき間違いなく私は豊だったことに気がつく。
欠乏感こそが夢を描けるしあわせで、夢を持てた時点でそれでいいのだ。
なんせ私の夢は叶っているから。
そうするともっと良くなりたいが本当は自分軸でないことにも気がつく
掛け替えの無い欠乏感を愛する学びなのかもしれない