福井義高という青山学院大学教授がいる。英語、ドイツ語、フランス語、
ロシア語などの外国語に堪能で、これらの外国語で記述されている近現代史に
関する論文や書籍を広く渉猟して、その内容を紹介する書籍を書いたり、あるいは、
対談や討論のインターネット番組に出演したりして、一部の人には有名になっているという。
こういう人は東大卒かな、と思ったら果たして、1962年生まれ、東大法学部卒だった。
この人について、ここに文章を起こす気になったのは、先日の「チャンネル桜」の番組
https://www.youtube.com/watch?v=ucEVGia4MN4
で「昭和20年代から30年代前半にかけて生まれた人が日本の底かもしれない」と
ヘラヘラ笑いながら発言したことに反発を感じたからである。
対談者の水島聡も合わせるように「70代は思考停止している」と水を向けたり
していた。
コメディアン作家の百田尚樹も、70代の団塊の世代は左翼で、この世代が
いなくなれば日本は良くなる、はよ去ね、と暴言を吐いていたが、これは
コメディアンの冗談として受け流すこともできよう。
しかし、福井義高は曲がりなりにも大学教授であり、一般的には日本の良識と
言われる立場にある。それが、一つの世代を、これまでの日本に脈々と続く
世代の中で最も能力の低い世代だと、どうして断言できるというのだろうか。
価値観や基準が異なれば、例えば、福井義高という一個人を三流だと断定することもできよう。
しかし、一つの世代全体を、これまでの日本人の世代の中で能力が最も低いと
断定することは、一体どういう根拠でできるというのであろうか。
私はこのことだけで、福井義高という人物を、学者としての資質がなく能力も劣る、と思わざるを
得ない。多言語習得者としては稀な存在であっても、それは学者や文学者の
要件ではない。書籍の執筆やインターネット番組への出演などで
何か舞い上がっているということはないのだろうか。
福井義高は、日本の底が「昭和20年代から30年代前半」生まれと言っており、
自分が昭和37年生まれでそれに該当しないようにしているところが
人間的なセコさが見られて非常に嫌らしい。水島のように、自分も含めて言うのなら、まだ
謙譲の精神が見られるのだが、そういうものもないようだ。
人を評価するということは、他人の業績をリスペクトするという精神が必須だ。
それがその人の価値観を作る。ひいては自分の客観的な評価につながる。
この人にはそういう資質が欠けているのだろうか。舞い上がるのも
そういうところから来ているのかもしれない。それとも、
政権よりの保守層にいやらしく媚を売っているのだろうか。
いずれにしても、私はこういう人間をとても評価する気にはなれない。