久しぶりのプチスパシリーズ 


久しぶりのプチスパシリーズです。


※プチスパとは



同義語は同義にあらず! 


語彙の単元の一つに「同義語・類義語」というのがあります。


この単元、単なる丸暗記で覚えてしまうには少し勿体無い単元です。


というのも、世の中に本当に「同義」の言葉なんてほとんど存在しないからです。そもそも全く意味の異ならない単語であれば、どちらか一方だけ使っていれば良いわけで、もう片方の語は自然に廃れていくはずでず。


現在まで生き残ってきた言葉たちは、一見同じような意味の言葉に見えても、それは意味の重なっているところが広いだけで、細かいニュアンスを見ていくと違う意味になっていると考えて良いと思います。




有名なものでいえば、「体験」と「経験」


四まとでも同義語・類義語として扱われていますが、これらは「類義語」ではあっても「同義語」ではありません。


体験は行動そのものを指し、経験はそこから学び取ったものを指します。(早稲アカの授業を体験するだけなら1日でできますが、早稲アカの授業を経験した!といえるためには最低でも1年くらいは通塾しないとそう言うに値しないでしょう)


他にも、 


・納得と承知

・文明と文化

・持続と継続

・所有と所持

・天然と自然


あたりは、どこに意味の重なりがあり、どういうニュアンスが異なっているか、親子で話してみるのもいいかもしせまれんねにっこり(チャッピーなどの生成AIに聞くとこのあたりはとても上手く説明してくれますのでおすすめです)


 

言語とは何か?〜言語論へのいざない〜 

 

ところで、そもそも言葉とは何なのでしょうか?


これを深掘りするのが言語論という学問で、このイントロダクションは受験頻出です。昔は大学・高校受験の定番でしたが、最近は中学受験でもそこそこ骨のある言語論が出題されるようになっています。


言語の一番簡単なイメージは、「世界を切り取るハサミ」です。


たとえば、この絵のように、虹色に並べられた長方形が(言語に関係なく)最初からその世界にあり、言語はあたかもそれを切り取って一つ一つにラベルを貼るがごとく付けた識別用の記号であるという考え方です。


しかし、現在の言語学ではそのような理解だけでは言語というものは理解できないとされています。


すなわち、虹色に並べられた長方形が(言語に関係なく)最初からその世界にあるかどかは実は自明ではなく、人は言語というハサミによって区分されたレンズを通してしか世界を見ることができていない可能性もあるのです。


この例を使って言えば、虹色のカラフルな長方形が7色の異なるものに見えるのは、もともとそれらが違う色だからではなく、我々が色を色彩に応じて言語によるハサミ入れ(これを分節化といいます)を行った結果、そのように見えているだけにすぎないということになります。


私が大学時代に言語論の先生から聞いた話ですが、とある未開の民族は、色を色彩ではなく明度で名前をつける習慣をもっており(明るい色=◯◯色のように)、彼らからみると、たとえば上の図の橙と黄色のゾーンなんかは、同じ色に見えているかもしれません


このとき、彼らに正しい世界が見えていない、ということでは決してありません。彼らには彼らの世界が見え、我々には我々の世界が見える。しかもそのように見えさせているのは実は言語であるということなのです。


このあたりの言語論の背景知識をもって論説を読むと、言語論関係の文章を格段に解像度高く読解できるはずです。


私が浜学園講師時代に母校の高校受験特訓コース(早稲アカでいうNNの中学生版みたいなもの)の論説文初回はこの話をしっかりインプットし、文章で確認していくことでした。言語論はそれくらい重要な単元です。



 

初めましての方はこちらもどうぞ

 

 

 

 

    

 

ブログの紹介にっこり
 
元浜学園国語科講師で自身中学/大学/院/国家Ⅰ種/司法試験とあらゆる試験を一発合格してきた自称「受験のプロ」で、現役弁護士でもある「くま先生」が、国語が大の苦手な息子のこぐま(早稲アカから27中受予定)に伴走する受験記
 

 

※主な連載記事