『地図と拳』小川哲著(集英社)を読みました。

 

日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣されたロシア人神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空(ソンウーコン)。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮(リージャジュン)〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土(炭鉱)」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。ひとつの都市が現われ、そして消えた。日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。

 

633ページの大作を読んだ・・・これを書いた小川さんはすごい!これは世界文学だ!

 

満州を舞台に、架空の街・仙桃城(李家鎮を改名)を描いた、日露戦争から第二次世界大戦までを描いた歴史大作です。

末尾に付された参考文献の量もすごい。フィクションである浅田次郎の『マンチュリアンリポート』が入っているのが面白い。

あと柴田元幸さんの『メイスン&ディクスン』は小説のどんなところにいかされているのだろうか?

 

 

以下、結末までを含むネタバレがあります。未読の方はご遠慮ください。

 

 

 

 

物語の最初から最後まで登場する、切れ者の男、細川が魅力的!最初ロシアの南下政策を調査するために派遣された高木少尉に、通訳としてついた細川、身体検査があるので危険なものは捨てるようにいわれたが、高木は形見の短刀をすてられず、細川が身代わりに拘束される。しかし細川は説得して短刀をとりかえし、一命を得る。その短刀がやがて高木の未亡人と再婚する須野にひきつがれ、その子・明男(明治天皇が崩御した時にうまれたことと、逆から読むとオケアノス(ギリシャ語で始まりを意味する)になることから命名)にひきつがれ、物語の最後に日本に上陸するときに、彼はその短刀を海に投げ捨てる。

この短刀をめぐるエピソード、物語のはじまりとおわりを結んでいて好きです。

 

舌と体温で気温や湿度、風向きを知る明男もすごいし、千里眼をもつという、李が主催する「神拳会」に入会し、やがてのっとった孫悟空(元・楊日綱)もすごい。孫悟空の末娘(孫悟空が仙桃城の若い娘たちに命令して全員と契り、最後の38番目に性行した女性が産んだ娘)である、孫丞琳(彼女が腹の中にいたときに孫悟空が性行したために、右腕が使えなくなった)など、こういうSF的人物たちがスパイスとなって、実在の歴史の物語を盛り上げます。

 

日清戦争後、不凍港を求めて南下政策を行うロシア帝国と日本の間で、朝鮮半島や満洲の権益をめぐる争いが原因となり引き起こされた日露戦争。絶対に勝つことはないと言われていたロシアとの戦争で勝ってしまったことによる日本の成功体験。日露戦争で唯一日本が得られたのは満州であり、ここは死守すべき場所と日本は決意します。そしてロシアの本拠地であった満州を日本が統治することになります。

何もない場所に鉄道を走らせ、駅を作り、駅の周辺に都市をつくる。鉄道が都市をつくるのであれば、その鉄道の路線を決めるのは地図。いわば「地図」が都市を生む。
国家とは法であり、為政者であり、国民の総体であり、理想や理念であり、歴史や文化でもある。どれも抽象的なもので、形のないものだ。その国家が唯一形となって現れるのは、地図が記されたとき。すなわち国家とは地図であるとも言える。国家の歩みは、更新されてきた地図の歩みでもある。

 

この地図にとりつかれたのが須野。彼は上司から「いくつかの地図にかかれている青龍島が、なぜ書かれたのかを調べてくれ」といわれ、「ない島がない」ことを証明することにとりつかれます。そして細川は「できあがったらその論文を見せてほしい」と須野にいいます。その島は、南部のくいつめた中国人たちがいく「李家鎮」の桃源郷のような噂と同じ。人は桃源郷を、楽園を、求める。昔のキリスト教徒が地図に必ずアダムとイブのいた楽園の島をかきこんだのと同じ、アリストテレスがアトランティスを書きこんだのと同じ、それは人々の求める理想の世界。須野は細川から誘いを受けて、満鉄に入社します。

地図を測量して調べるのではなく、満州という広大な土地の地図を新しく考えて作る。それが本書に登場する細川やロシア人宣教師クラスニコフ、須野、須野の息子の明男(あけお)らの目的。地図も建築も時間を保存する。
同じ場所に同じ形の建築が存在することで、人間は過去と現在が同一の世界にあるのだと実感する。
一方、世界地図を見て明らかなように、人の住める世界は狭すぎるため、暴力によって何かを解決しようとする「拳」、つまり戦争がなくならない。

世界中の地図を読み込み、どの国家がどの土地を狙っているのか、そして戦争となったときには、どこが戦場になり、どういった戦いがどのくらいの期間行われ、各国の備蓄資源や技術力から、どちらが優勢か、そして、そもそも有事に至るかどうかも含め推測することが、戦争のなくならないこの世界においては重要となる。

細川は戦争について研究する戦争構造学研究所を主宰し、未来を予測しようとします。我々の後ろにあるのは過去という名の一本道。目の前にあるのは未来という名の交差点。人間は常に直進するとは限らない。未来という白紙の地図を旅をして、できるかぎり正確に描くことが戦争構造学の狙い。

 

明男は父と同じく満州に渡り、建築をこころざします。しかし仙桃城の都市計画は途中で頓挫し、明男は公園の設計をはじめます。しかし細川は未来予測し、満州はいずれ捨てることになると判断し、できるだけ建築資材を節約し、将来の日本の再建にやくだてようとします。

 

敗戦後日本にひきあげる船のなかで明男は細川に語ります。

「建築とは時間です。たとえそれが凡庸な建物であっても、存在そのものが価値となるのです。建てることに意味がないとは思いません。意味がないのは破壊することです。かつてその建物がその場所にあったことを、抹消する行為です。」

 

戦後10年たった満州で、明男と孫丞琳がクラスニコフ神父が書いた地図を眺めます。ロシアの地図に青龍島を書きこんだのは神父でした。「地平線の向こうにも世界があることを知らなかったあなたへ」

 

世界の広さ、時間の果てのなさ、理想の世界。

地図を拳によって抹消させてはならない、この物語を読んで強く思いました。