『戦地の図書館』モリー・グブティル・マニング著(松尾恭子訳)東京創元社を読みました。

 

[モリー・グプティル・マニング, 松尾 恭子]の戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊 (創元ライブラリ)

 

第二次世界大戦終結までに、ナチス・ドイツは発禁・焚書によって一億冊を超える書物をこの世から消し去った。対するアメリカは、戦地の兵隊たちに本を送り続けた。その数、およそ一億四千万冊。アメリカの図書館員たちは、全国から寄付された書籍を兵士に送る図書運動を展開し、軍と出版業界は、兵士用に作られた新しいペーパーバック“兵隊文庫”を発行して、あらゆるジャンルの本を世界中の戦地に送り届けた。本のかたちを、そして社会を根底から変えた史上最大の図書作戦の全貌を描く、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーの傑作ノンフィクション。

 

高橋源一郎さんの『飛ぶ教室』で勧められており、興味を持って手に取りました。

記事に貼った画像は書影のみです。リンクしていません。

 

第二次世界大戦時、ナチスドイツはユダヤ人の書いた本や、ナチスにとって好ましからざる本は焚書(ふんしょ)にしました。マルクスやジャック・ロンドン、ヘレン・ケラー、アインシュタイン、トーマス・マン…。

一方アメリカは、戦地の兵士たちに「兵隊文庫」というペーパーバックを発行し、兵士たちの慰安に務めました。そのアメリカの様子を描いたノンフィクションが本書です。

 

戦地では予算にとぼしく、娯楽といえば合唱やスポーツ。でも四六時中まわりに人がいる状態では、兵士たちはひとりでできるレクリエーションを好みました。手紙を書く、本を読む、ラジオを聞く。

本土の図書館員たちは、兵士たちに本を贈ることを考えます。

 

「ある本は痛みをとる膏薬(こうやく)であり、ある本は、退屈で孤独な毎日から抜けだして心躍る旅に出るための切符であり、ある本は、懸命に学んで昇進を果たした兵士に対する賞状ともなる。」

 

しかし民間人に本の寄附をつのっても、汚れた本が集まるばかりで、兵士たちが望むような本は手に入りません。図書館員たちは痛んだ本は古紙回収に買い取ってもらい、それによって得たお金で本を購入しました。そして「あなたの御子息が兵役に就いた時に、読みたいと思うような種類の本を寄附してください」と呼びかけました。

 

兵士達に人気があるのは、順番に現代小説、歴史小説、ミステリ、ユーモア、西部小説、冒険小説、伝記、漫画、古典、時事問題を扱う本。ファンタジー。音楽、自然、詩、科学、海軍に関する本、自己啓発本、短篇集、旅行記など、幅広かったそうです。

 

ハードバックの本は重くてかさばるため、兵士たちのために特に薄くて安価な兵隊文庫が新たに出版されました。その特徴は、通常縦長の本を横長にし、二段組みにしたこと。二段組みで一文が短いほうが、暗い場所や兵役の合間に読みやすいからです。書籍用ではなく、雑誌用印刷機で印刷することで、薄い紙をつかうことができ、軽量化に成功。空白のページは著者の伝記やパズルで埋められました。ジャングルなどで湿気が多いところでは糊がとけてしまうため、ホチキスでとめる。兵隊文庫の原価はわずか7セントちょっと。それらが無償で戦地に送られました。

 

『グレート・ギャツビー』はフィツジェラルドの存命中の評価は高くありませんでしたが、兵隊文庫になることで多くの兵士たちの心をつかみ、アメリカ文学を代表する作品となったそうです。

 

戦地に赴いた従軍記者のひとりは、兵士たちの人だかりをみて、タバコ用ライターが届いたのかと思ったら、兵隊文庫が届いていたのだそうです。文庫が届くとあっというまに兵士たちが列を作り、「あれこれ迷うな、一冊つかめ、後で交換すればいいんだから」と急かしたとか。兵士たちにとって兵隊文庫は「砂漠に降る雨」のようだったと語られています。

 

兵隊文庫の中で一番人気があったのが、ベティー・スミスが書いた、人々の描写がリアルで温かい『ブルックリン横町』。彼らにとってこの本は故郷を思い出させる、「故郷からの嬉しい手紙のよう」だったそうです。

 

兵隊文庫によって兵士は退屈を紛らわし、元気になり、笑い、希望をもち、現実から逃れることができた。

 

「以前は本を開いたことすらなかった」という兵士たちも、戦地では本を大切にし、回し読みし、ぼろぼろになってもずっとその本を大切にしていたそうです。戦後、復員兵たちは本を読むことが習慣になり、勉強などでも大きな成果をあげたそうです。

 

戦時中にヒトラーによって焼かれた本は1億冊にものぼりますが、兵隊文庫はそれを超える冊数がつくられ、多くの兵士たちの心の支えとなりました。本が人に与えてくれる力の強さを感じさせてくれる、素晴らしいノンフィクションです。