先週は結局熱が出て『仕事するな』というありがたいドクターストップまでいただいてしまった。
結局熱の原因は
腎盂炎
医者が言うには「男性は珍しいです」
何が珍しいのかわからんが、とにかく腎盂炎の一歩手前までいっていた様子
今週から珍しいから検査していくとか
とりあえず血液検査はセーフ
来週は腹部エコーとレントゲン
何が飛び出すのやら
先週は結局熱が出て『仕事するな』というありがたいドクターストップまでいただいてしまった。
結局熱の原因は
腎盂炎
医者が言うには「男性は珍しいです」
何が珍しいのかわからんが、とにかく腎盂炎の一歩手前までいっていた様子
今週から珍しいから検査していくとか
とりあえず血液検査はセーフ
来週は腹部エコーとレントゲン
何が飛び出すのやら
昨日のお昼頃から熱がある
最初はわからなかった
ただやけにトイレに行く回数が増えた様な気がする
という自覚症状だけ
なんとなく熱があるような気がして体温計で測ってみた
38.7℃
平常時の体温が35.4℃くらいの俺としたらかなりの熱がある
でも、その時思った
体温計とは自分以外の人が病状を把握するのに必要な道具で
自分がわかったところでどうしようもない
何度以上だったら寝る とか判断材料にはならないな
しんどかったら寝る
一人の時はこれでいいかと
そして昼から寝込んだ、身動きとれなくなったから
昼寝したくないほど昼寝してしまったために、夜の眠りも浅かった
そして今
仕事に朝から出ている
朝一番でやっておかなければならない仕事があったからだけど
もう終わったし、今日は早退でもしようか
昨日の休みに何気なくつけたテレビで吉田拓郎が歌っていた
「今日までそして明日から」 作詞:吉田拓郎
私は今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
確か子供の頃に見た映画の主題歌になっていた曲
その頃はなんとも思わなかったのだが
昨日聞いて改めていい曲だなと
今日まで生きてみました
『生きてきました』 じゃなく 『生きてみました』
自然体で生きているのを実感できる
今の世の中、肩に力入れて、歯を食いしばって生きていかなければ
なんて事を考え直させられた
生きてみたんだよ、今日まで
明日からも生きてみようよ
特に何もない毎日だけど
平凡な繰り返しだけど
明日はまた来るから力抜いていこうよ
そんな事を言われたような気がする
普段の生活内での話題ならある種共通の目標点というのがあり、そこへいかにして到達するかとか話し合いができる。また、共通の話題においては意識の共有を計るために積極的な議論を交わすこともある。(一般的な夫婦喧嘩とも言うw)
問題は
意識の共有とか、共通の目標がない話
例えば最近ニュースでよく聞く『核議論』
核武装がどうしたとか、核について日本人はある種のアレルギー反応を持っていると思う。『核』と聞いただけで『×』を出している気がしてならない。平和的利用をするとこれほど可能性があるエネルギーは現状ないと思うのだが。
とお茶などすすりながら話すとカミさんが目くじら立てて食いつく。
『じゃあ、あなたはうちの横に原子力発電所ができてもいいの?』
・・・・・( ̄ ̄ロ ̄ ̄;;)ずれとる
ずれた論点を修正しようとしても泥沼に足を取られた状態に陥る
『私は嫌よ。隣に原子炉できるなんて』
『じゃあお前はどんなところに原発できてるか知っているのか?』
『知らない』
『関西で消費されている電力の半分以上が原子力発電にたよっている現実を知っているのか?』
『知らない』
『でも・・・・とにかく嫌!』
こういうレベルの話でタウンミーティングを開催するべきだと思うけどな
って言うけど
商業主義にのせられた『おふくろの味』じゃなくて
本当の我が母の味
子供の頃、うちのみそ汁には色々な具が登場した
一般的な大根とかは当然のように
スイカの白い部分とかまで(夏場の定番、でも好みじゃなかった)
だが、どんな具が入ってようと変わらないものがあった
煮干し
(もちろん頭もそのまま)
我が家のみそ汁のダシは煮干しでとるのが基本
そしてその煮干しもそのまま具となり食する
それが普通だと思ってた
中学校に入り調理の授業でみそ汁を作ることになった
事前に勉強するのだが、ダシの種類の勉強をしていると
煮干しは頭と腹を取り除き、ダシをとったら鍋から出します
・・・・?うちと違うね
家に帰り早速母に聞いてみた
俺:学校でダシとったら煮干し捨てるって書いてあったよ
母:もったいないね、カルシウムがとれないじゃん
正解。反論の余地もない・・・
でも本当のところは、ただ面倒だったんじゃない?
そんな実家じゃ今でも煮干し使ってる
おかげで立派な骨太に育ってますよ、あなたの息子は
週末になると狙って天気が悪くなる
一向にフレームに手がつけられないので、今日はパーツで遊んでみた
まず
これにクランクをつけたときのQファクターを測定する
結果
次に
通勤用自転車に以前使っていたBBを引っ張り出してきた
このBBグリスガードといって、クランク取り付けネジをつけたままでカップ&コーンのグリスアップができる代物
回転も軽くってお気に入りだった
これを使って測定
サンツアーとシマノのテーパーは合わないと言う話だが・・・
軸長は5ミリ長いがQファクターは3ミリの差
これがシマノとサンツアーのテーパーの違いだろうか?
どっちにしても使い機会がなさそうなパーツの話
日本人の国民食と言われても、うなずける
カレー
各家庭で色々な作り方があるかと思うが
我が家の歴史においてたった一度だけ登場し
しかしその一度で消え去ったカレーレシピがある
そのカレーは
イチゴカレー
生のイチゴを一緒に煮込んだのなら美味しそう
イチゴジャムを隠し味に入れたのなら美味しそう
チョコレート入れるとコクが出るって言うしね
でも、そんな優しい味なんてしないからコイツ
普通のカレーの作り方
1.いつものようにカレーを作ります
2.仕上げにヨーグルトなど入れると味がマイルドになります
この2番で一工夫♪
その日家に帰ると奥様は台所でカレーを作っていた
うまそうな匂いが部屋中に漂っている
「そうそう!仕上げにヨーグルト入れると美味しいらしい」
「ヨーグルト確か冷蔵庫にあったはず~♪」
意気揚々と冷蔵庫を開ける奥様
しかし、しばし沈黙
「あれ?ないなー」
「しょうがない、似たようなもんだからこれ入れとこ」
奥様が手にした物は離れていてもそれとわかり
見慣れた容器に入ってキュートなピンク色がほんのり・・・
「お前!それ!!まっ!!!」
パコッ、ドボドボドボ~~~~
イチゴジョア投入完了!
今まで漂っていたカレーの香りとは異質な甘い香りが漂う
合成された香料は加熱されると一層強く香ると学習させられる
見た目カレーだが違うものが出来上がった
甘い香り漂うカレーのような物
お互いに言葉を失った3日後
奥様は文句言わず3日間食べていたが、一人で消費するには作りすぎた
俺は3日間ご飯だけを食べていたが、さすがにご飯だけでは飽きてきた
さらに3日間繰り返し煮込まれたそれはカレー本来の香りを取り戻しつつあった
生まれて初めて口にするイチゴカレー
鼻の奥にイチゴの香りを感じさせるイチゴカレー
カレーとのバランスを保とうとしない自己主張が強いイチゴカレー
以来二度と口にすることはなくなった
あれから10年以上経った昨日
思いだしたように言ってみた
「今度イチゴカレー作ってみるか?」
「あんな不味い物作れん」 (即答)
やはり不味かったのか
学校の校長先生が自ら命を絶った
朝からテレビのニュースでしきりに言っていた
背景や心情はよくわからないので、自分の意見になるが
学校の先生がそんな事してどうする?
この場合は、ただ事象からの逃亡にしか見えない
単なる責任逃れ
このニュースを見た人たちは
『これが一つの答えなんだ』と思ってしまうと考えなかったのか
残された家族や関係者の気持ちは考えなかったのか
考えなかった故の行為と言うことか
責任を取るというのは腹を切ることではない
腹を切るのはいつでも出来る
全てを自分の責任と考えたのであれば
責任の範疇で責任を果たす必要がある
消え去ることが責任であったとは思いたくない
昔
こんな私でも夜の高速を走っていて
繰り返し迫ってくるコンクリートの壁を見て
『ああ、この壁に激突すれば楽になれる?』
と考えたこともある
でも、残る家族のことを考えたら出来なかった
私がいなくなることで、自分自身の悩みとか辛さからは解放されるかもしれない
しかし、残された者へその辛さを押しつける事は出来なかった
親として子供に出来ることをしてやらずに逃げ出す事は出来なかった
死によって自らの解放を願うより
生によって自らの解放を目指すべし
今週の休みは土日ともすっきりしない天気だった
レストアも残すはフレームだけなので、天気が悪いとできない
塗装は剥離材で剥離して、一旦鏡面仕上げを目指してみる
したがって、フレームについているステッカーを部屋の中で取っていく
こういうの
ドライヤーで温めて端からはがしていく
当然全てのステッカーをはがすので
はがしたら下の塗装もはげた
もう塗装自体耐久力落ちてるようだ
なんて言ってもこんなステッカーが残っているくらいだから
今年のツールド八ヶ岳は第20回