八方塞がりの状況で決意した手術
――2012年、食道がんを陽子線治療で克服したなかにしさんでしたが、昨年2月にリンパ節に新たながんが見つかりました。このたび刊行された『闘う力 再発がんに克つ』は、それから約8ヵ月間の、手術をするか否かの逡巡、心境の変化などを記したリアルな「闘病ノンフィクション」です。
前回のがんについては『生きる力』という本にまとめましたが、主要テーマは陽子線治療に出会うまでの医者探しの旅みたいなものでした。しかし今回は療養そのものが非常にシビアだったので、そこを詳細に書きました。
今回のがんでまずショックだったのは、頼みの陽子線治療が使えなかったこと。がんが前回陽子線を当てた付近にあり、気管支にぴったりと密着している。そこに再度陽子線治療を施すと、気管支に穴が開いてしまう可能性があるのだと医師から言われました。
私は陽子線治療の信者みたいなものでしたから、「これはもうダメだな」と思いました。若い時の病気の影響で心臓が他人より弱いので、開胸手術に耐える自信はない。こうなったら仕事は引退して、あとは抗がん剤と緩和ケアで残りの人生を生きるしかないと覚悟を決めました。
――ところが一転、手術を決意された。
自分が思っている以上に、私のがんは深刻だったんです。がんが気管支を突き破る「穿破」という状態になると、数日しか命がもたない。いつそうなってもおかしくない状態だったのです。
病院の医師がわざわざ電話してきてくれて、熱心に手術を勧めてくれた。一度陽子線でがんを克服したなかにし礼を、そう簡単に死なすわけにはいかないという意地もあったんでしょう(笑)。
それで、「少しでも可能性があるならやってみよう」と思いなおしました。ただ、「手術中に心臓が止まったらもうしょうがない」というある種の諦めがあったのも事実です。
――しかし、残念ながら手術でがんは取り除けず、そこで抗がん剤治療に切り替えたということですが、自宅で大量吐血されるなど非常に危ない状態が続いたようですね。
明け方、息苦しくなって洗面所でペッと吐いたら、ドロッとした血が大量に出てきた。この時は「ついに穿破が来たか」と腹を括りました。
結局この吐血は鼻血が原因でしたが、それでもいつ本物の穿破が襲ってくるか分からない。それ以降は死と隣り合わせの日々で、咳一つをするのにも慎重になりました。
抗がん剤治療のダメージも甚大でした。副作用でものすごく体調が悪い。そうなってくると普段は絶対にしないマイナス思考に支配されるようになるんです。「そうジタバタしなさんな。ここまで生きたんだ。そろそろ諦めたほうがいいんじゃないか」なんていう「悪魔の囁き」が頭の中を駆け巡りだす。
人生を肯定し、常に前向きに突き進んできた私の人生でこんな思考に陥ったことはこれまで一度もなかった。何かがおかしい、と感じたんです。
終わりを自分で決められる安心感
――そこで受診されたのが精神腫瘍科です。
そんな科があることを知りませんでしたが、抗がん剤で一種の鬱状態になることがよくあるそうなんです。患者本人だけでなく、家族がそうなることもある。実際、私の家内もだんだん塞ぎ込むようになり、みるみる痩せていきました。
そこで二人とも同じ病院内にあった精神腫瘍科で診てもらい薬を処方してもらったところ、一発で気が晴れました。精神腫瘍科の存在はがん患者やその家族の方にもっと知られていい。前向きな発想を取り戻すことができますからね。
――本書の中では、「旅立ちの準備」の様子も紹介されています。密葬やお別れの会の段取り、戒名つくりも自身でなされたと。
葬儀は密葬にしたいと思い、両親が眠るお寺の和尚さんと相談したところ、自分で戒名をつけることを勧められたんです。
確かに、坊さんにつけてもらった「いかにも」という感じの戒名じゃあつまらない。それに、私の本名やペンネームは、言ってみれば俗気にまみれている。その名前とおさらばして、おのれの人生に託した夢を言葉にして戒名にする。これは実に爽快でしたね。
お別れの会の会場も決めたし、葬儀委員長や世話人代表をやってほしい人には直接頼みました。文壇的な会になるのも望まないし、芸能界的になるのも好みじゃない。「自分の最期はこういう会にしたい」という思いを貫きました。
いくら家族に頼んでおいても、実際に私が死んだらただただオロオロしちゃうということだってあり得る。そこに生前お世話になった出版社が出てきて、やってくれたとしても、私の意に沿わない会になっちゃうかもしれないでしょう? それじゃあ困るから、自分でやるしかなかった(笑)。
それに自分で自分の葬儀やお別れの会をプロデュースすると、とってもサバサバした気持ちになれる。「これで安心していつでも死ねる」ってね。
――闘病中に、新たな小説の執筆を始められたそうですね。
ええ。書くということは絶えず自分とコミュニケーションをとる作業。つまり私の場合、書くことで病気の自分と病気じゃない精神的存在の自分とが対話していた。頭の中の建設的な思想・発想が、病人に向かって毎日発信されていたわけですから、病魔と闘って疲れた肉体は、ずいぶん激励されたと思いますよ。まさにがんと「闘う力」になりました。
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なかにし・れい/'38年生まれ。「涙と雨にぬれて」の作詞や、舞台演出、小説をマルチに手掛け、'00年『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞。『てるてる坊主の照子さん』('02年)は、NHK連続テレビ小説『てるてる家族』としてドラマ化
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160306-00048072-gendaibiz-soci&p=1
