※映画「桜のような僕の恋人」のネタバレしてます。
3月24日にNetflixで配信された「桜のような僕の恋人」を観た。
結論から言うと、本当に素晴らしい作品だった。
主演は中島健人、ヒロイン役は松本穂香。
カメラマンになる夢を挫折した晴人と、美容師であり将来は自分の店を持つという夢を抱く美咲が出会い、互いに惹かれた二人は幸せな日々を過ごしてゆくのだが、やがて美咲は「早老症」という病気を患ってしまい…というストーリー。
序盤は恋愛映画らしく、キュンキュンするような恋愛模様が描かれていてこそばゆいくらいだったのだが、美咲の病気が発覚してからは胸が締め付けられるようで、もう中盤からボロボロと泣いていた。
中でも自分は妹がいるので、美咲の兄である貴司に何よりも感情移入してしまった。
全部捨てても妹を救いたい。
なんで妹なんだ。
自分の無力さが嫌になる。
そんな感情を抱えているのが語られずともひしひしと伝わってくる。
自分の妹がそんな病に侵されたらどうする?
一人の兄の立場として考えた。
どうしようもない理不尽さになす術なく迷走してしまうのだろう。
でも妹には最期まで出来る限り幸せを感じてほしい。
妹を不安にさせないように、己の弱さを見せないようにしながらも、縋れるものには全部縋りたい。
その献身的な姿を見て涙が溢れてしまった。
病に侵されるのは不幸でも、こんなに素敵な家族が支えてくれるのは幸せだと思う。
晴人の純粋な想いにも心打たれた。
もしも美咲が病気であることを早くに知っていたら、貴司以上に自分の全てを投げうってでも美咲に尽くしたのだろうなと思える。
それこそカメラマンの夢すら躊躇なく捨てるだろう。
だからこそ美咲はつらい嘘をついてまで晴人を遠ざけたのだと思う。
そんな純粋で未熟で真っ直ぐな晴人の視点で描かれているのが主題歌の「永遠」である。
この永遠の歌詞、まさにエンドロールに流れるのに相応しく、まるで物語終了後のエピローグのように感じられる。
全編にわたって回想のような表現がなされている。
桜舞う遊歩道
花火あがる夜の浜辺
ちなみに描かれる季節が春と夏だけなのは、晴人と美咲が共に過ごした期間がその時期だけだからだと思う。
レンズを向けるたび
顔を背けていたのは
Aメロの内容は全て劇中で描写されている。
桜井さんが、ここまで作品にクローズアップして歌詞を書くようになったのかと驚いた。
晴人がカメラマンなので、サビには「シャッター」という単語が使われている。
どこまでも作品に忠実にしているのが分かる。
おそらく、曲に固有のイメージが付くことに昔ほど抵抗が無くなったのかもしれない。
それよりも、とにかく良い作品を作ることや寄り添うことを重視するようになったのだろう。
重力と呼吸、Your Songあたりからだろうか。
詩集に「あなたが主役の、あなたの歌になりたい」と綴っていたのと関係している気がする。
永遠を聴いていて印象的なのは、歌詞の若々しさ。
「恋の魔法」だとか「神様であっても死ぬまで許さない」だとか。
「魔法」に関しては劇中に登場する大切なワードではあるけど。
少なくとも、SOUNDTRACKSで描かれた「終わっていく側」の悟ったような、達観した視点はそこにはない。
これはまだ若く未熟な「晴人」の視点だからこそではないだろうか。
良い意味でどこにも「桜井和寿」がいない。
まるで作詞したのが「朝倉晴人」のように感じられる。
それが桜井さんが映画のコメントに寄せた「これでもかってくらいの感情移入」なのではないだろうか。
だからこそ、いつもとは少し違う作風に物足りなさを感じる人もいるかもしれない。
しかし、この曲は朝倉晴人の人生以外の何物でもない。
桜のような僕の恋人へ寄り添う歌として、これ以上の曲はない。
晴人は劇中で、美咲との思い出の場所を写真に収め、「変わらないもの」と名付ける。
美咲はそんな晴人の作品に触れ、「ずっと若いままの自分でいられる」と言う。
どちらも「永遠」と言い換えられる。
「永遠」に実際の長さは関係なくて、そこにあるもの。
記憶の中に残っているもの。
これはSOUNDTRACKSのようでもあり、Documentary filmの歌詞を思わせる。
永遠は桜のような僕の恋人にぴたりと寄り添った作品でありながら、アルバムを経由した新しいMr.Childrenの楽曲として成り立っている。
素晴らしい完成度。
永遠は好きだけど恋愛映画には興味がない、という人にもぜひ観てもらいたい。
楽曲の解像度が段違いに増す。
たまにはそういう曲があっても面白い。
