私は昔、
大学を編入学していましてね、
短期大学を卒業して一年浪人、
半年間、毎日8時間、英語を勉強することにより
無事、大学入学を果たしました。
(もー、編入学試験では英語満点だと思ったよね。
それがはっきりわかるくらい勉強した。笑)
試験日当日、
当時はまだその学部の掲示板に番号貼り出すのが
自分の合否結果を知る最短コースでしたから
ドキドキしながら電車乗って。
たぶん受かっているけど、そんな素ぶりは一つも見せず。笑笑
もー、この世の終わりくらいにドキドキして
壁に張り出された合格通知を見て、自分の番号を発見したのでした。
そのときの感情と頭の中に浮かんだ言葉は今でも思えている。
嬉しい!!!!
でも、これで終わり?
もう終わったん?
・
・
・
あっけない
ここの気持ちはね、
そう浮かんだけど、すぐに打ち消しました。
だって、そんなあっけなかったら怖い w
ここをあっけなく思ったら、
私が今までやってきた努力も無駄だったって思ってしまう。
で、今
ふたたびそこを思い出したので、解禁して見ているんですけども。
私が大卒にこだわったのは、
それが世間でよしとされていたからかもしれない。
いや、絶対にそうだ。
だから、私はそれがいいとか悪いとか
【私にとって】
どうかなんて1ミリも考え及ばなくてその選択をし、
そのための努力をした。
でも、それを後悔する気持ちも1ミリもなくって。
そのときの努力は
私の大きな大きな大きな自信になったし
就職にも弾みがついたし、そこに入社したからダンナと出会えた。
だけど、である。
ずっとその軸で進んでいるとしんどい。
私はしんどかった。
私はしんどかったことに気づいた。
しんどいというのは、
【自分の目で】ものごとを見ていないから
自分で見ていないものは当然、自分の心で感じられるはずもなくって
という意味で。
自分にとって良いかどうかなんて、そんな想像一切考えず、
社会とか
世間とか
親とかの良し悪しに
私を一生懸命合わせてきた。
本当は違うのに。
長く生きれば生きるほど、
感情を細かく味わえば味わうほど、
「あれ?外は整ったのに、この置いてけぼりな感情はなんだろう?
ここを埋めるために外側頑張ったのに、私の内側全然埋まってないやん!」
って、なってしまっていた。
で、なっていたのが2年前の私でした。
ノートで自分を見るということは、
私の幸せを
もう一度自分の目で、
心で、
「ほんとに私にとっての幸せがそれなの?」
って選び直すことだと思う。
そこから出た答えの種類はむしろどっちでもよくって。笑
「私はこれを選んでいたんだー」
「私はこれからはこれを選びたい」
「私はほんとうはこんなのが好みなんだ〜」って。
自分を知ることであり
周りの結果や状況や表情が
自分のそれとは違っていても、
『それでも私はこう思う』
『それでも私はこうします』
っていう自由さを体感できることだと思うんだよね!
自分の感情を見ていくことで
あなただけの幸せを再構築していきませんか?
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