2週間前から愛犬の一匹の健康に問題があって
昨日もセカンドオピニオンとして病院へ行ってきました。
私、この件、ものすっごく心配してたんですね。
めっちゃ可愛い我が子だから。
だけど心配し過ぎて心配し過ぎて
なんでこんなにしんどい思いして心配するんだろう?って思った。
心配してもどうにもならないのに。
私にできることはほとんどないのに、って。
そして私は
この私の心配性をなんとかしたい!って思ったの。
だってしんどいから。
心配しても状況は何一つ変わらないから。
私がピリピリすることは
私にとってもまわりにとっても何一ついいことないなーって思ったんです。
「こんな非建設的な心配という感情をなぜ私は持ち続けるの?」
と自分に聞いたら、
私の中でこんな想いが出てきて。
幼いころ、父がものすごく何かを心配しているのを間近で見ていて
私も同じような反応をしないとと強く思ったんです。
なぜかというと、
そうしとかないとあの子とは薄情な子、あの子は冷たい子って思われるって
そんな気がしたから。
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これって、純粋な心配ちゃうやんか!
これって、誰へのポージングやんか!
って、
私はそういう理由でも心配をしていたんです。
だから私の心配と人からこう見られたい心配を切り離しました。
心配はその対象のことを心から思ってするものであり
人からどう見られるかでするものではないこと。
たとえそれで周りからどう見られても私は私の心配の方法をする!
ってね。
これからの私は私だけの心配の仕方をしていく。
たとえそれが薄情に見えたとしても。
たとえそれが人と大きく違ったとしても。
私は私だけの感情を、これからも感じていこうと思う。