自分って見えませんよね。
こんなにずっと一緒に居て、こんなに時間とお金をかけて見ようとしているのに
自分ってその姿をなかなかあらわしてくれません。
鏡を見てもあらわれるのは、自分の外見だけ。
そう。
私が知りたいのは私の内面。わたしのホントの気持ち。
内面がわからないから“人から言われる自分”を自分なんだと理解しようとしてみたり
人から指摘されるアドバイスを“そうならないといけない自分”として頑張ってみたり。。。
結果、指摘されなくなるけどしんどいんです。
結果、頑張り続けないとまた指摘される日々に逆戻りするかもしれません。
頑張る日々。
でも報われない日々。
頑張っているけどうまくいかないんです。
「うまくいかない」って「なにがうまくいっていないか」それすらわからないんだけど
「うまくいっていない」ことだけはわかっているんです。
こんなはずじゃない。
私の人生、こんなはずじゃなかった。
私にとっての「こんなはずじゃない」って言うのは
「私ってこんなちっぽけなもんじゃない」っていう言葉に聞こえて仕方ありません。
事実だし。
謙遜する必要なんてどこにもないし。
人って、自分の可能性をこれでもか、
って言うくらいへし折ってここまで来ています。
義務教育では、成績のよいところを伸ばす指導をされるのではなく
‘さんかく’(番号のところもあるのかな?私の学校&世代はこう。笑)のところを
‘まる’にするよう言われるもんね。
その考え方がフォーマット化されてしまった私たちは
そりゃあ、できるところよりできないところを頑張るわけだ。
でも、、、
見も蓋もない話をすると
できないものはできないんです。爆
できないものはそれが得意な人ほどできるようにはならないんです。
だって、時間かけた割に上達してないでしょ?笑
私たちはややもすると頑張りどころを誤ります。
苦手なものほど力を注ぎ
得意なものほどスルーしている。
その証拠に
相手から褒められたところって素直に「そうなの」って受け取れますか?
「そうそう、それが私の強みなの」って心の中まで浸透させることができますか?
なぜ、誤るのか?
冒頭の話に戻ります。
「自分をわかっていない」 からなんですね。
自分を知るって、自分の得意、不得意を知るだけでなく
自分の快不快も知ることができるんですね。
人生の進むべきおおよその方向性も。
ただここで注意したいのは、数字の資質に私を縛り付けて進んで行くのではなく
あくまでそれを羅針盤にしながら自分を信じて行動していって人生を開拓していくこと。
ここには依存も他力本願も自動操縦もないところです。
私たちは往々にして‘個性を殺して’(その理由はまた別の機会に)生きていることが多いから
数秘術から見た自分の資質って、想像していた本来の自分と逆の場合も多いです。
こんな自分の資質が出てきたけど受け入れる覚悟ある?
そんな自分の個性を出しながら行動する準備できた?
人生を本当に変えたいのであれば、数字はこんなことを言ってきていると
思います。
ここで大きなふるいにかけられます。
やる?やらない?
信じる?信じない?
結局、どんなにポテンシャル高い資質を持っていても、
想像してたどおりの自分の資質に喜んだとしても、
数秘術でできるのは「あなたはこんな資質があるよ」「こういう活かし方していけばいいんじゃない?」って教えてくれるところで終わりで
そこからは
数字に関係なく、
自分が心の底から「人生を変える!」って決めて行動を起こさない限り
なにも始まらないし、望んだどおりの人生は進んで行きません。
外からモチベーションをあげることはできるけど一時的なんですよね。
(それじゃあ、意味がない。。)
だから何度も何度も何度も言うけど 笑
本当に大切なのは、「変わりたい!」っていう想いなんです。
もう、こんな人生は嫌だ![]()
もう、こんなみじめな想いはしたくない![]()
それを気づけるきっかけになるという意味で
うまくいかない時期や、自分がわからない時期も
すごく必要になってくるのですね。
(感情的には、たまったもんじゃないですけどね。汗)
あ~、なんか厳しいこと書いちゃった気がするけどwww ←なにゆえ?汗
ホントそうなんですから。笑
『自分を知る=人生が変化する』
ではなく
『自分を知る=自分を受け入れる=地を出して行動し続ける=人生が変化する』
ですからね (*^-^*)
こんなこともまた、書いていきます!
でもほんの3年前まで(ブログは時期ずれてるかもですが。笑)
こんな考え方してたんですよね、私も。
よかったら、参考に(^_-)
すべて自分次第なのですよ。
