私にとって、福島は縁遠い場所であった。
他の多くの人がそうであるように、震災と原発事故後、福島に想いを馳せる機会が多くなったものの、どこかで、自分には縁のない土地だと思っていた。
唯一、何年も会っていない、修士時代のバイト先の塾にいた双葉町出身の知り合いの安否を心配したが、福島から連想される個人的な繋がりや要素は、それくらいだった。
しかし、この数年でわたしと福島は急接近している。
もはや、じぶんと福島は切っても切り離せない関係となった。
2014年、初めて福島へ行った。
福島大学にて知り合いの教授の依頼で単発の授業を担当したのだ。
日帰りだったが、授業後には教授に福島の郷土料理のレストランへ連れて行ってもらった。
『いかにんじん』と、美味しい日本酒の味は忘れられない。
帰りのタクシーの中から見た仮設の集合住宅の風景が脳裏に残っている。
同じ年の2014年12月31日、わたしは結婚した。
93歳になるお婆ちゃんは、目や腰が悪いものの、近所に住む兄弟に囲まれて、一軒家で1人で暮らしている。
夫の実家では、お婆ちゃんの兄弟が作っているお米を食べている。
義理母さんは、結婚してから一度も米を買ったことはない、ずっと福島のお婆ちゃんから送ってもらっている、と話していた。
実家に遊びに行くと、ときどきお婆ちゃんから送られてきた畑の野菜や果物、お米を持って帰れとすすめられる。
あの地震と事故がなかったら、どんなに嬉しかったことだろうと思う。
お米も野菜も果物も、すべて身内の人の手作りのものを食べることができる。
でも今は、他に選択肢があるのならば、より安全で安心できる食材を食べたいし、家族にも食べて欲しいと思っている。
だから、わたしは勧められても、お米は貰わないことにしている。毎日食べるものだし、息子の離乳食にも使うものだから。
でも野菜や果物は、時々もらっている。
夫の実家で食事するとき、白米は福島のだけど、それは普通に食べている。
行動に、わたしの気持ちが表れている。
お婆ちゃんの心遣いを踏みにじりたくない気持ちと、より安全な食べ物を選んで食べたいと思っている自分がいる。
流通しているのは検査を通ったものだから大丈夫だよ、と義理母さんに言われたけど、
震災前よりも放射能値基準が甘くなり、その結果流通が可能になっている食品があることを知ってる。
福島を想うと、いつも上に書いたことが頭の中をグルグルして、複雑な気持ちになる。
どういうスタンスでわたしは福島と関わるべきか。
お婆ちゃんは、会津に息子を連れて遊びにおいで、と言ってくれた。
お婆ちゃんが元気なうちに遊びに行きたい、と思う自分と、
本当に行くの?小さいNを連れて?行かなくても良いよ!と思う自分がいる。(こっちのほうが本音な気がする)
もっと、清々しい気持ちで福島を想いたかったな。



