「平泉先生、ありがとうございました。今後の見通しがつきました」

「いえいえ。この程度のことであれば十分勝ち目はあります。幾つか揃えていただきたい証拠書類がありますので、それは御社の法務部に追ってメールいたします」

「はい、ありがとうございます。いやほんとに平泉先生は仕事が早い。要点も押さえてらっしゃるので無駄がない。本当に助かります」

「そんなことないですよ」

「確かご出身の大学もこちらですよね。お懐かしいでしょ」

「ええ、まあ」

 素っ気なく答える平泉雪成。

「ではこれで」

「本当にありがとうございました。また」

 慇懃にクライアントの担当者が頭を下げると、それに軽く会釈して、平泉はそそくさとそのビルを後にした。


「ふぅ。あの担当者、何度会っても好きになれないな」

 平泉は独りごちた。

「さてと、6時か、早めに夕食でも食べるか。確か、近くにうまいスープカレー屋があったよな」

 平泉は、早稲田通りにあるクライアントのビルから地下鉄早稲田駅に向かって歩き、駅のある交差点を渡り、目的の店、東京らっきょブラザーズに来た。


「いらっしゃいませ」

 ドアを開けると元気な挨拶がした。一歩入るとカレー粉の匂いがする。食欲がそそられる。

空いている席に座り、メニューを見る。限定メニューの特別なチキンと野菜カリーがうまそうだ。

「すいません、この限定のを。あと、舞茸をトッピングで」

「はい、かしこまりました」

 お店は学生以外に社会人もいる。次から次へと入ってきてだいたい席が埋まった頃、注文の品が着弾した。

「お待たせしました。ごゆっくり」


「これは見事なビジュアルだ。ボリュームたっぷりじゃないか。そそるなぁ」


 スプーンでスープをよそう。プンっとカレーの刺激的な匂いが立ち昇る。平泉は口に徐に含んだ。

「これは、うまい。辛そうに見えて甘い。いや甘いというかコクがあるというか、それでいて刺激が後からやってくる。たまらないな」


「しかし、なんというデカさだ。どれどれ」

 平泉はたまらずチキンを崩して頬張る。

「柔らかい。ほろほろだ。うう、うまい」

 カレーに浸かったチキンが柔らかくジューシーで口の中を幸せで満たす。


「舞茸もデカい!」

 平泉は舞茸を一気に齧った。

「うまひ…こりゃたまらん。柔らかいのにプリプリしてて、カレーの味とミックスされてさらに旨みが引き出されている」

 平泉は無心に食べた。額にじんわりと汗をかく。

 学生の時はなかった店だ。スープカレーも社会人になってから知った料理だ。しかし、早稲田にあるだけで、まるで学生時代から通っていたような感覚になる。それは、丼料理だからだろう。 

 学友とこの辺の店を回ったことを思い出した。食べ過ぎてもう食べられないのに、食べた。まるで我慢比べだ。それが楽しかった。また、懐かしい気持ちになった。


「ご馳走さまでした」

「ありがとうございました」

 平泉はスープを全て平らげ、店を出た。地下鉄には乗らず、そのまま足は大学に向かった。


「この道を通って通ったよな…」

 一歩一歩踏みしめる度に懐かしさが増してくる。

「おお、あった」

 昔、平泉が通っていた8号館の校舎が見える。

「雰囲気、変わってないな…」

 平泉はしみじみと独りごちた。


 フェンスには所狭しとサークルや同好会の勧誘看板がかけてある。

「お、グリークラブか。山西が入ってたっけな」


「男なら歌え、か。男なら…」

 何を馬鹿なことを…と平泉は首を振った。そのまま門を通り過ぎて大隈講堂まで出た。やはりこの講堂は趣があって色褪せない。今でも平泉の憧れだ。音楽の道を諦めて、入った大学とは言え、大学の雰囲気は大好きだった。


 しかし、先週恩師である当時のゼミの教授と会って、内心を見透かされて以来、もやもやした思いが晴れない。少し仕事も億劫になっている。

 こんなことではダメだと思いながらもどっちつかずの日々を送ってしまっている。


「はぁ、何やってるんだろうな、俺」

 大隈講堂に問うてみても何も返ってこない。そばでこれから入るだろう高校生が記念写真を撮っている。なんだか羨ましく見えた。


 しばらく、ぼおっと見ていたが、夜の風はまだまだ冷たい。

「帰ろう」

 誰に言うでもなく、平泉は呟いた。


 あの頃の気持ちに立ち返って何か解決するのかもしれないと思ってやってきたが、やはり解決しなかった。結局自分で決断しなくてはならない。


 地下鉄の早稲田駅に降り、電車に乗った。仕事を終えたサラリーマンがたくさん乗っていた。みな暗い顔をしている。

 何気なく見た自分の前に貼ってあったポスターに目が止まる。

『金山彰、帰国公演。情熱のショパン、バラード1番、英雄ポロネーズ他』

「くそ、また金山か。何を問うて来てる?俺にどうしろと…」

 平泉は唇を噛んだ。暗い窓に映った自分の顔は、さっき見たサラリーマンのそれだった。


 やはり、行くしかないだろう。久しぶりに金山の音を聴くのも悪くない。もしかしたら、俺に何かを取り戻せるかもしれない。



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