昨日から奴はアジトを動かない。行確に入ってから2日。そろそろ出てくる頃だろうか。

 東アジア某国からの工作員との話だが、それが本当なのかどうか、その国はどこか、それを突き止めるのが公安部刑事、柳田和弘の今回の任務だ。


 朝から張り込んでもう午後4時、今日も出てこないつもりだろうか。早朝コンビニのおにぎりを食べた後、何も食べていない。腹が減って来た。 

 しかし、行確中は身動きが取れない。キツい仕事だ。ワークライフバランスが叫ばれている昨今だというのに。


 俺の職場はそんなものが浸透するわけないか…。

 柳田は独りごちた。

 休憩を取りたいところだが…。

 柳田はスマホをいじった。


「まずいなこれは…」

 柳田は電話を掛けた。


「来栖か?」

「はい」

「来れるか?」

「今はこちらも離れられないですね」

「だよな」

「どうかしましたか?応援が必要ですか?」

「あ、いや、応援は必要ない」

「またな」

 電話を切る柳田。


 さて、どーする?

 あいつは出てくるだろうか、確かに17時頃から動き出すやつは多い。我々の行確はバレてはいない。

 しかし、ここを離れてその間に移動されたらコトだ。柳田の脚はイライラして貧乏揺すりが激しくなる。やはり、仕方ない、諦めるか。


***


「いらっしゃい」

 柳田は塩中華そばのボタンを押した。すぐに動けるように今日は醤油から塩に変更だ。ここで塩は食べたことがないしな。

 行列店だというのに幸い空いている。世の中の間隙のような時刻だからな。だとするとこの時間に奴が動く可能性は高い。

 し、しかし…


 チャッチャッチャッ♪


 チャッチャッ♬


 静かな湯切り音が店と柳田のハートに響く。

 まるでジムノペディだ。


 その音のリズムに埋没していく。


「はいお待ちど」

 丼が厳かに着弾した。

「おお、美しい。さてと…」

 柳田は徐に箸を持った。湯気が立ち昇る丼。鼻腔をくすぐる鶏ガラスープの匂い。

「た、たまらん」


 そこに携帯が鳴る。

「く、なんだこんな時に」


 柳田は箸を置いて電話に出る。

「来栖か」

「先輩、奴、今からアジトを動くそうです」

「な、なに!」

「いつだ」

「まもなくです。先程奴らの仲間の携帯通話を傍受しました」

「わかった」

 くそ、どーする、刑事としてはすぐに走り出すべきだ。し、しかし…。


 柳田はたまらず湯気の立ち上るスープを飲んだ。

「くお!」

 やはりうまい。アッサリしているのにコクがある。どこまでも飲めそうだ。



 続いて柳田は麺をリフトした。

 ズルズルッ、ズルズルッ。


 う、うまい。もちもちした中太麺、たっぷりとスープを吸って吸い込みやすさも尋常じゃない。まさに尋常小学校だ。


 く、時間がない…。

 柳田は時計を確認する。もう20分はゆうに経っている。

 柳田はチャーシューを口に放り込んだ。

「わりいなおやじ。急用なんだ」

 柳田は断腸の思いで席を立った。店を出ると走って張り込み場所に戻る。

「クソクソクソクソ、間に合えよー!」


 なんとか間に合ったか…!?


 しかし、柳田の目線の先にマンションを出て角を曲がる奴の背中が見えた。

 これはまずい…柳田はその背中が角を曲がった瞬間に走り出した。同時に携帯が鳴る。

「はい」

「ちゃんと尾行できてるな?」

「はい!もひほんです!」

「お前。まさか何か食べてるのか?」

「ひへ、ひゃーひゅーが」

「なんだ? 大丈夫なのか?」

 柳田はチャーシューを飲み込んだ。


「はい。勿論です。奴の動きは捕捉しています。一旦切ります」


 ふぅ…危なかった…。


 角を曲がる柳田。

 奴がタクシーに乗り込んでいた。タクシーが走り出す。このままでは離される。


 走りながら携帯を取り出す柳田。

「はい来栖」

「やつはタクシーに乗って巣鴨から御茶ノ水方面へ向かった」

「わかりました。向かいます」

「頼む」

 柳田は来た道を戻り、離れた所に停めた自分の車に乗り込み、タクシーを追いかけた。


「よし、見つけた」

 柳田はターゲットの乗ったタクシーを見つけた。タクシーを降りるターゲット。柳田は車を止めてから、徒歩で尾行を再開した。走ったせいでラーメンのスープが腹の中でぐるぐると動く。


 ん?あれは…


 なんだラーメン屋か…うまそうだな。柳田は次に行くべきラーメン屋を見つけた。


 そこでまた携帯が鳴った。

「来栖です。今奴は?」

「こちらで捕捉した。御茶ノ水駅だ」

「向かいます」

「早く来てくれ」

「はい」

 柳田は携帯を切った。


「さてと、来栖と交代するまでは、我慢せにゃならんな」

 柳田はターゲットの入った建物の見える場所で再び監視を始めた。


 先程ラーメンにありついたと言うのに、既に柳田の貧乏揺すりが始まっていた。


***


麺創庵 砂田

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