まるで春のようだと犬飼一郎は感じていた。

新宿区西早稲田にある八幡神社に、夜遅く初詣に来たのだった。

初詣時期はおろか、節分も過ぎ、夜遅くは神社の社殿の扉も閉まっているため、境内には一郎の外に見当たる者はいない。

 

罰当たりな。

いや、それはこんな時期に詣る俺の方か。

一郎は独りごちた。

 

光陰矢の如し。新卒から会社勤めをしているうちに、あっという間に時間が経っていた。昔は自分の名を上げようと必死に働いていたこともあった。


しかし、今は目標も失いつつ、気がつけば独身のまま。仕事の合間に食べる飯が唯一の楽しみと言っても過言ではない生活を送っている。

 

もはや、自分の目標とはなんだったのか自問することすら憚られる日々。一郎は神社を見るとつい神頼みをしたくなってしまう。

 

しかし、具体的に何か願うものなどなく、ただこのまま終わることだけはしたくない、なんとか光明を、と抽象的に願うばかりであった。

 

こんなことでは、神もなんのチャンスを与えるべきかわらかないだろう。

とはいえ八幡神社で手を合わせたこと自体は否定される言われはない。人生まだ大逆転があるはずだ。そう言い聞かせた。

 

しかし、腹が減ったな。

神社を出ると途端に腹の虫が鳴いた。

 

穀潰し…そんな言葉が思い浮かんだが、一郎は首をブンブンと振り、その考えを打ち消した。

早稲田通りを高田馬場方面にあるいていくと、はちまん神社があるのとは反対側にまだ営業している店を発見した。

 

おお、あれは「らぁ麺やまぐち」ではないか。

まだやっているのか。これは僥倖だ。

一郎は蛾が裸電球に吸い寄せられるようにラーメン屋の明かりにふらふらと近づいていった。

 

ここはミシュランで取り上げられてから、行列が絶えなかったように思うが、中には客が2人のみ。空いている。ラーメン屋もそこらじゅうにあるからな。なかなか経営は難しいものだ。

 

扉を開けると、いらっしゃいと言う声が聞こえてくる。

入ってすぐ券売機があった。

それを見ると醤油と塩があるようだ。一郎は迷うことなく塩中華そばを選んだ。

時間も遅く、少し軽めに思える塩にしたのだった。

暫く待っていると、麺の湯切り行為などは発見できなかったが、おもむろに丼が着弾した。

 

お待たせしました。

ゴトリと丼が置かれた。



ほう、美しいビジュアル。やはり百名店だけあるな。



ズズー。一郎はスープをレンゲで啜った。

なるほど、塩だが、結構脂がしっかりある。鶏油だろう。味も濃いめだ。

 

そして蕎麦を啜る。



細いストレート麺。柔らか目だ。

食べやすいが、やや腰が足りないか。スッキリ系だし、こんなものかもしれない。自分の好みももしかしたら少しずつ変わっているのかもしれない。

ただ悪くはない。

チャーシューはほろほろだで味がしっかりついている。

丼にしてもうまそうだ。

 

ズズズスー。

ズルズル、ズルズル。

ズズズズー。

 

ふぅ。ご馳走さま。

あっさり完食した。

夜にはちょうどいいな。

おっと、先に会計は終わっているんだった。

少し残念に感じる一郎。

財布を一瞬眺め、視線を店内に戻す。

何も言わずに店の扉をあけて出た。

 

じんわりと額に汗をかいている。

やはり、もう春なのだろう。暦では立春を越えた。

 

時が過ぎるのが年々速く感じる。もはや脅威ですらある。

 

俺はこのままただラーメンを食べるだけの男に…。

空を見上げても今夜月は見えない。

まるで自分の未来のようではないか。

いや、今は考えるまいよ。

 

一郎はまっすぐ高田馬場方面に向かって歩いていった。

 

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らぁ麺やまぐち03-3204-5120
東京都新宿区西早稲田3-13-4 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13151200/