コーヒーがいい香りを放って、僕は滅多に使わないトレイにコーヒーカップを2つ並べる。

松本が来ても出したことのないお揃いのカップだ。

いつか恋人と・・・と夢見ていたもの。

 

それだけで鼻がツンとしそうなくらい感動している僕はもうどうしょうもないけれど。

 

 

「チョコレートまだあった気がすんな・・・」

 

 

仕事中たまに口にするカカオ65%のチョコレートをパントリーに見つけて、出張先で手に入れた焼き物の小皿に適当に割って乗せる。

美しい群青色にこげ茶が映える。

大人な色合いだ。

 

 

コーヒーが落ちきってからカップに注いで、僕はトレイを持って大野さんの座るベランダに向かう。

ドキドキする。

また自分の部屋に大野さんがいることを実感して、足がすくみそうになる。

 

 

背を丸めてスケッチに熱中する大野さんの横顔が窓の向こうに見えて。

その向こうにはなぜか見慣れた景色が広がっていて。

CGじゃないよな。

本当にここで、僕のベランダで、大野さんが自分の仕事をしている。

 

 

「エモい、ってこういうのかな。」

 

 

トレイを片手に持ち替えて、窓を開ける。

すぐに大野さんが気づいて、手を貸してくれる。

 

 

「わぁ、いい香り。」

 

そう言って大野さんがふっと笑顔になる。

 

 

「お待たせしました。あ、もうちょっと集中したければ俺は中で。」

 

「大丈夫です。さっきも大丈夫だったし。それに、もうすぐ終わります。」

 

「じゃあ。」

 

 

僕は大野さんの作業の邪魔にならないようにトレイごとテーブルに置くと、空いている方の椅子に座る。

またこうして大野さんが絵を描くところを見られるなんて。

 

新たな癒やしの時間になりそうだ。

 

 

「いただきます。」

 

「どうぞ。」

 

 

大野さんはペンを左に持ち替えてカップを持ち上げる。

 

 

「カップ、かっこいい。お揃いなんですね。」

 

「ああ、はい。一目惚れして買っちゃいました。ひとつじゃ寂しいからペアみたいにして。」

 

「ふふ。どっちも男らしいですね。ゴツいっていうか。大きいし。」

 

「はは。そう言われるとそうですね。まあ、結果ちょうどいいって言うか。」

 

 

え?

どういう意味?ってツッコまれたらどうすんの?

 

 

「ふふふ。確かにたっぷり飲めて最高ですね。コーヒーも旨いです。」

 

「ははは。あ、チョコレートもどうぞ。ちょっと買ってから経っちゃってるかもしれないけど、俺のお気に入りです。」

 

「いただきます。」

 

 

大野さんはカップを置いてすぐにチョコレートを口に入れる。

 

 

「ああ、ちょうどいいやつだ。」

 

「はは。65%です。こだわります?」

 

「甘すぎないほうが脳が働くような気がするから、自分で買うのはそのくらいのが多いです。もらったら気にしないけど。ふふ。」

 

「はは。俺ももらいものは何でも嬉しいです。」

 

 

僕らはまた微笑み合う。

なんて自然で幸せな空気が流れるのだろう。

 

出会うべくして出会ったのだと思い込ませるような。

 

 

「大野さん。」

 

「はい。」

 

 

名前を呼びはしたけど、何を言おうとしていたのかは自分でも分からない。

告白は、大野さんがスケッチを終わってからがいいと思っていたのに。

 

 

「あ、いや。俺ちょっと静かにしてるんで、それ思う存分描いちゃってください。」

 

「あ、ああ、はい。あ、でも、これでもう。」

 

 

大野さんがペンでちょいちょいと指したのは立派な根の広がった太い木のイラストで、さっき2人で座っていた木を思い起こさせる。

これには顔があって、あれはただの並木の一本だけど。

 

 

「それ・・・」

 

「あ、これ、さっき根っこに座らせてもらった木から生まれたやつ。ふふ。なんか居心地良かったから。」

 

「確かに。座り心地悪くなかったですよね。優しい顔だ・・・すげえ。」

 

「ふふふ。」

 

 

大野さんは僕がゆっくりその木のキャラクターを見るのを待って、スケッチブックを優しく閉じる。

それから、スケッチブックもペンもテーブルに置いたままで、ぴょこんと少しだけ腰を浮かせて座り直す。

 

 

「たくさん描けたから今日は大満足です。ありがとうございます。」

 

大野さんはペコリと小さく僕に向かって頭を下げる。

 

 

「あ、いやいや、俺は本当になんにも。」

 

「ふふふ。今日帰りに俺死ぬのかなって心配になっちゃいます。」

 

「なんでっ!?」

 

「良い日過ぎて。よく言いません?」

 

 

「そっ、それはすごく困ります!」

 

「ん?ふふふ。」

 

「そんなの俺、耐えられないです。」

 

「え?」

 

 

「大切な人がいなくなるなんて・・・。」

 

大野さんがふと真顔になって眉間にシワを寄せる。

 

 

「俺、大野さんが好きなんです。」

 

 

 

 

(つづく)