「やっぱり、冷蔵庫にしまった方が・・・。」
「え・・・?」
「買ったもの・・・。」
僕の意識はまったく別のところにあって、大野さんが言っていることがしばらく理解できなかった。
大野さんから目線を外して、キョロキョロとフォーカスの合わない地面に目線を走らせる。
買ったもの・・・。
そうだった。
「悪くなっちゃうともったいないし、お腹痛くなっちゃうし。」
大野さんが心配そうな顔でまた言って、僕は完全に言葉の意味を飲み込む。
「そ、そうだ、そうだ。えっと・・・、残念だな。もっと見てたかったです。」
立ち上がりながら僕は言って、大野さんは表情を崩す。
「ふふ。もうすぐこれ書き終わったら俺も帰るんで。また連絡します。」
「・・・はい。」
「連絡・・・してもいいですか?」
「え、あ、はいっ。今夜俺からもするし!次に会えるの、楽しみにしてます!」
「ふふふ。声デカ。ふふ。」
「あ・・・ははは。」
僕は足元に置いていたエコバッグを拾い上げる。
ああ・・・やっぱりまだ一緒にいたい。
「櫻井さん。」
「はいっ。」
「・・・ありがとうございます。」
「ん?」
「ん、あ、あの、これ。たくさん浮かびました。」
大野さんはスケッチブックを指して言う。
その瞳が潤んでいるように見えて、僕はまた引き込まれるようにして見つめ返す。
ほんの3秒ほどだけど、体中が震え出しそうだった。
「俺も・・・。」
あなたが好きです、と言いそうになって自分を制する。
大野さんは少しも動かず僕を見上げている。
「み、見せていただいて、初めてだったから。」
「・・・ふふ。はい。」
「っていうか、俺はなにも。」
「ふふ。」
間違えて言ってしまえたら良かったのに。
自制が効かなくなって、全部正直に、目と目を合わせたままのあの数秒間に。
僕らは想い合っているのだと。
あなただけが背負わなくちゃいけないわけじゃないと。
「・・・じゃあ。」
「はい。また。」
「また。」
僕は笑顔を作ってマンションに向かって歩き出す。
大野さんが僕を振り返っている気配はなくて。
すぐに戻ってくると振り返って言えばいいのに。
待っていてくださいと言って飲み物をもって戻ってくれば、あと少しだけ一緒にいられるかもしれないのに。
後ろ髪を引かれるというのをこれほど体感したのは初めてだ。
いつもより歩幅を縮めて歩いていると、スマホがポケットで震える。
空いている右手でスマホを取り出すと、松本からの着信だった。
「・・・もしもし?」
『あ、翔さん、ん?なんか声元気ないです?』
「いや・・・別に。」
振り返りたい。
でも、我慢して会話し続ける。
もうすぐマンションのエントランスに着く。
その時にチラッと大野さんを見ても不自然じゃないだろう。
『まあ、いいか。あの、今相葉さんとお茶してて。』
「え、ああ。」
オフィスで会うのだと勝手に想像していたけど、どこかカフェにでもいるのだろうか。
まあ今の僕にそんな細かいことはどうでもいいんだけど。
『で、取り急ぎなんですけど。あ、今座ってます?』
「いや、買い物帰りで、マンションの眼の前。」
『まあ、大丈夫か。あの、相葉さん、どうやら別れたみたいです。』
「ふうん。そっか。」
『は?』
「は?」
『いやいや、は?』
「え?」
なんだって!?
(つづく)