「櫻井さん・・・?」
「大野さんっ!?」
「櫻井さん、え、あの、櫻井さん・・・」
「大野さん、どーして?」
「櫻井さんこそ・・・。」
2人してキョロキョロと視線を動かしながら、お互いがここにいることを不思議に思っている。
「ん、ははは!」
僕はお互い名前を呼ぶだけの会話が可笑しくなって笑ってしまう。
「ふふふ。」
大野さんもその変な感じに気づいて表情を崩す。
僕は荷物を片手に持ち直して、少しキャップのツバを持ち上げる。
「こんにちは。」
「ふふ。こんにちは。すごいビックリしちゃった。」
「はは。俺もです。さっき大野さんのこと考えながら買い物してて。」
「え、俺?」
大野さんが自分を指さして目を丸くする。
「はい。この間、健康第一って。だから買う物をいつもより気をつけてみたんです。」
「ふふ。なるほど。」
大野さんが嬉しそうな顔で唇に手を当てる。
視線は僕の持つエコバッグに向かっている。
「たくさん買いましたね。」
「冷蔵庫も冷凍庫もほぼ空で。いつも松本に怒られるんです。ちゃんと食いもん入れとけって。」
「ああ・・・ふふ。」
「あっ・・・あの、はは。いつもって言ってもあれですけど。」
しどろもどろになる。
ああ、余計なことを言ったな。
「あ!あの、水曜日のこと、今夜スケジュールがハッキリするんで、そしたらすぐにお知らせしますね。」
「ふふ。はい。待ってます。」
「んと・・・」
僕は大野さんを散歩に誘いたかった。
せっかく会えたのだから、もう少し一緒にいたかった。
こんな偶然、そうそう無いだろうと思う。
「あ、ごめんなさい。冷たいもの急いでしまわなくちゃですよね。じゃあ、俺はこれで。」
大野さんが進行方向を指して言う。
僕は焦るけど、どうしたらいいのか分からない。
「あ、はい・・・。あっ、あの大野さんはどちらに?」
「ああ、俺はなんて言うか、仕事のインスピレーション探しというか。色んなもの見て、材料を集めてるんです。だからもう少しここら辺で。」
「へえ!ここら辺はよく通るんですか?」
「あ、いや、実はカズに昨日勧められて。この道色んな人歩いてるから楽しいとか何とか・・・。」
「カズが?」
「昨日の夜少し一緒に飲んでて。いつもの道飽きてきたって言ったら。」
カズのやつ。
どういうつもりだろう。
こんな道なにもないし、僕が家に帰るために必ず使う道だ。
あいつめ。
感謝しかないな。
「ビックリしたせいか、一瞬色んなの浮かんだな・・・。」
戸惑ったような初めて見る表情で、大野さんが耳を触る。
薄くて綺麗な形の耳だ。
「ちょ、すいません。」
大野さんは周りを軽く見回すと、ボディバッグからスケッチブックを取り出しながら並木の根が盛り上がった部分に腰を下ろす。
「イメージだけ描いちゃわないとなんで・・・。」
「あ、なるほど・・・。」
スケッチブックをめくって、ペンを取り出す大野さんを立ったまま見つめる。
ほんの少しだけ目を閉じて、イメージを呼び出したのだろうか、大野さんはゆっくりとペンを動かし始める。
紙からほとんどペンが離れない。
まるで一筆書きでもしているような・・・。
僕はもっと近くでその作業が見たくなって、大野さんの横に移動する。
「見ててもいいですか?」
「え?あ、いいですけど、恥ずかしいな。ふふ。」
「気配なるべく消しときますから。」
「ふふふ。大丈夫ですよ。どうぞ。」
大野さんが自分の左側を指して言う。
僕はそっと近づいて、大野さんの隣に座ると、呼吸を深く細くゆっくりとする。
鼻息が大野さんにかからないように。
心臓はうるさいけど、多分聞こえているのは僕だけだ。
大野さんの持つペンは、魔法のようにスケッチブックにイメージを落とし込んで行く。
誰かが絵を描くのをこんなに傍で見るのは初めてだ。
ひとつ終わると次を、それも終わるとまた次を。
中には輪郭だけのものもあれば、細かな表情や服の模様まで描き込むものもある。
もちろん、生き物じゃないものもある。
「櫻井さん。」
手は止めずに大野さんが言う。
「ん、はい。」
返事をすると、大野さんが手を止めて僕を見る。
真っ直ぐと、それもほんの30センチほどの距離で。
近い。
「・・・・。」
大野さんは僕を見つめ続けて、僕はドキドキして目を逸らしたくなるけど、我慢する。
気持ちが読まれてしまってもいいと思う。
好きだ。
目の前のこの人が。
(つづく)