写真集が発売になって、思いもよらない反響があった。

仕事用に使っているメールアドレスを最後のページに載せていた。

そこに仕事のオファーがどんどん舞い込んでくる。

 

僕はすべてを独りでやっているから、あまり色々なものに手を出すことはしてこなかった。

数本の長く続けられるものをそれぞれ丁寧にが信条になりつつあった。

 

 

だけど、提案される企画はどれもとても興味深いものばかりで。

あれもこれも、と検討しては返信する。

ひとまずはお断りの分を電話で連絡する。

そのほうが僕の気持ちまで伝わりやすいと思ったからだ。

 

急ぎの引き受けたい案件に返信後は、細かな指示などが来る前になんとなく構想する。

イメージだけだけど、後が楽になる。

 

 

それを全部で40件ほどこなしただろうか。

 

 

気づいたら春は深くなって、桜もとっくに散っていて。

桜の下を歩いたはずなのに、楽しむ時間がなかったことに気づく。

 

 

「嘘だろ。」

 

僕はベランダに出て空を見上げる。

 

最後に空を見上げたのがいつだかは忘れたけど、雲の形も空全体の色もだいぶ違っている気がする。

充実感こそあれ、なんだか色々損した気分もすごい。

 

 

リビングのテーブルでスマホが震えている音が聞こえて、室内に戻る。

 

スマホには「松本」と表示されている。

 

 

「もしもし?」

 

『あ、翔さんお久しぶりです。』

 

松本は張りのある元気な声を出している。

 

 

「うん。元気そうだね。ご無沙汰しちゃって悪い。」

 

『いえ。僕も写真集からこっち忙しくて、なかなか連絡できなくてすみません。』

 

「あ、松本も?俺もなんかメチャメチャ忙しくて。今桜見なかったの思い出してたとこ。」

 

『まじっすか。俺は散歩がてら写真は撮りに出たんで。』

 

「まあ、そうだろうね。写真はね。・・・で、どした?」

 

 

『あ、そうだ。ちょっと相談したいことがあって。久々に一杯どうですか?』

 

「いいね。俺もちょっと一緒にしたい仕事の話あるんだ。」

 

『じゃ、いつものところで18時どうですか?』

 

「了解。」

 

 

松本とはいつもこうして簡単に決まる。

今日連絡して今日会うことが叶う相手だ。

 

 

ふと大野さんのことを考える。

 

もし今日連絡して、明日会いましょうと言ったら?

迷惑だと思うだろうか。

 

 

 

 

18時の約束を前に、僕は少しだけ街の空気を感じようと出かけることにした。

 

 

慣れない作業に追われて10日以上を過ごしたことなど忘れていた。

頭の中はまだ断りきれていないオファーや、引き受けようか迷っている案件も詰まっている。

その中には返信の期限が迫っているものもいくつかある。

 

でも、家にこもっている間はそれでも大丈夫だったから、狂い始めた自律神経に気づかなかったのだ。

 

 

「あったか・・・。てか、暑いくらいだな。」

 

忙しくなる前はまだ少し残っていた肌寒さがすっかり消えている。

最近の季節の移り変わりはスピード感が狂っている気がする。

数年前はもっとゆっくりと感じていたような。

 

 

「ちょっと厚着しすぎたか。」

 

厚手の長袖シャツの上に厚手のジャケットは、夜冷えないようにと着込んだものだけど、しばらく歩いて温まった体にはなんだかモワッとするくらい暑く感じる。

もう少し空いているところに行ったら一度脱いで手に持とうと思い、歩き続ける。

 

だけど、なかなか人の流れが途絶えない。

そんなに混んでいるわけでもないけど、歩きながら腕を伸ばしたりすっかり止まってしまうには邪魔になりそうだった。

 

 

それがいけなかった。

 

 

急に吐き気を感じて、とっさに少しでも人から離れようと目の端に映った隙間に移動する。

 

 

動悸がする。

息が荒くなる。

 

 

怖いと思うな。

大丈夫だから、落ち着け。

 

 

言い聞かせるけど、どんどんつらくなっていく。

膝に力が入らなくなってしゃがみ込む。

 

 

やばい。

 

ここって・・・座っていても大丈夫だろうか。

そうは思っても目を開けることができないし、体も重くて・・・。

膝も着いて手のひらを地面につける。

 

 

やばい。

助けて。

 

 

 

「櫻井さん。触ります。ちょっとだけ頑張って。」

 

誰かに二の腕の辺りを両側からグッと掴まれて、ぐったりとしたまま立ち上がらせられる。

すぐに横からしっかりと抱きかかえられて、どこかに移動している感覚。

 

 

「ごめんなさい。痛いかもだけど、ちょっとだけ。」

 

更にギュッと抱えられると、足が地面から離れる。

 

 

「あっ・・・」

 

「車道だから。とりあえず安全なとこ行くんで、掴まれます?」

 

 

まじか。

移動した人の少ないと思った空間は車道だったのだ。

 

まだ腕に力が入らなくて、掴まることができない。

呼吸も困難なままで上手く声も出せない。

 

でもそのときにはもう、僕を抱えている人物が誰だか分かっていた。

 

 

この声は・・・この声は・・・。

 

 

微かに見えるようになった横顔は、思った通り大野さんのものだった。

 

 

 

 

(つづく)