『翔ちゃん、昨日どうだった?』
「どうだったって・・・。緊張したよ。」
『あの人相手に?くくく。一番緊張しないでしょ。』
「したよ。俺ら初対面だからね?」
『ふうん。ま、いいや。そんで次回なんだけど。』
「次回?え、次回?」
カズが電話越しにクスクス笑っているのが聞こえる。
僕に聞こえないように少し口を離しているようだけどなんの役にも立っていない。
『今なんで2回聞いたの?』
「いや、だって。昨日全然会話弾まなかったし、連絡先の交換もしなかったし?」
『友達になれない?』
「まーだ分からないよ。感じがいいのは分かった。ちょっと感性?みたいのも近いかなとは。」
見せてもらった花の絵を思い出す。
ふわっと心が穏やかになるのを感じる。
『会いたいってさ。また。』
「まじで?んー、カズもちゃんと来るならいいけど。」
『そんな感じ?んじゃあ俺の都合で組むわ。』
「ってか、3日前くらいには知らせてよ。せめて。せめてよ?」
『はいはい。善処します。じゃあね。』
カズの語り口は電話だとそっけなく聞こえてしまう。
対面だと懐っこい柔らかな表情のお陰で8割は感じの良さが増す。
僕はもう付き合いが長いから分かってはいるけど。
やっぱりもうちょっと詳細が欲しいんだよな。
僕はそこから3日ほど、そんな会話があったことさえ忘れて忙しく過ごした。
春は深くなり、道を歩けば色とりどりの花が咲いている。
都心でばかり働いていたのではこうは行かない。
出張が多いのは僕の仕事のいい所だと思っている。
空を見上げる。
気持ちよく呼吸できていることを噛みしめる。
僕は去年、大好きな仕事にまったく触れずに半年間を過ごした。
ドクターストップがかかったのだ。
睡眠不足だったことはある程度自覚していたけど、ストレスに関してはまるで気づいていなかった。
楽しいと思っていたから。
それは本当に突然で、僕は自分になにが起きているのかが分からずにパニックになった。
呼吸ができない。
足に力が入らない。
視界がどんどん狭くなる。
怖くて、抗った。
笑えば去るだろうかと微笑もうとしても、息が吸えないからできなかった。
一緒にいたカメラマンはすぐに救急車を呼んでくれたけど、僕は救急隊員に助けられるのさえも拒否しようとした。
大切な仕事があるんです。
心臓ですか、なんですか?
すぐに立てるようになるんでしょうか。
言ったと思っていたそれらの言葉は苦しそうな呼吸の音にしかなっていなかったと、後で見舞いに来たカメラマンが教えてくれた。
不眠とストレスだった。
そんな一言で言いきれるような単純なものではないのだけど。
「そんなのおかしいですよ。僕、仕事楽しんでたんですから。やりがいも感じてましたよ?そんな、ストレスなんて・・・。」
「はい。」
「心臓とか、なんか見えないところの血管とか、そんなのじゃないんですか?」
「はい。どの検査からも見つかりませんでした。」
主治医と何度も面会した後、彼女は僕に仕事を可能な最長期間休んでみてはと提案した。
いわゆるパニックアタックを何度か経験した後だったから、僕は素直にそれを聞いて、努めていた事務所を辞めた。
幸い不安にならずに済むくらいの貯金はあった。
そして半年間、仕事に関係することには一切触れずに過ごしたのだ。
あの日、散々ごねた後で救急隊員に体を仰向けにされたときに見えた青空をよく覚えている。
こんなにキレイで気持ちの良い空の下で、もしかしたら死ぬのかもしれない。
半ば諦めのようなものも感じたりして。
でも悔しかった。
他にもたくさんやりたいことがあったのに。
まだ運命の相手とも出逢っていないし、何かに自分を見失うほど夢中になったこともない。
僕はこれからの人生を楽しみにしていたのだとその時に気づいたのだった。
「そういや、勧められたやつやってないな。」
休養を終えて、カウンセラーに会うようになった。
そのカウンセラーが勧めてくれた「本当にやりたいことを見つける方法」のことだ。
それを具体的に知ることが、ストレスや不安を軽減してくれると言う。
明日東京に戻ったらもらったプリントを探そう。
景色を見ながら歩いていると思考が良く働く。
どこか外でやるのもいいかもしれない。
『翔ちゃん、来週の水曜はどう?15時くらいなんだけど。』
「なにその時間。」
『俺夜は約束があんの。でもあの人が空いてる日がそこだけで。』
「水曜ね・・・ああ、昼から立川か。1時間くらいかな。どこ?」
『翔ちゃんに合わせる。』
「なら多分オッケー。長引きそうだったら連絡する。」
『よろしくー。じゃね。』
「あ、カズ!」
『んー?』
「大野さんの描いてるゲーム教えてよ。」
『なに、予習すんの?リンク送っとく。』
「頼む。」
『じゃね。』
数分後にはカズからゲームのリンクが3つ送られてきた。
そのうちのひとつを適当に選んでスマホにインストールする。
アイコンだけでも世界観が独特だと思っていたけど、ゲームが開くと更に凄かった。
「なにこれ・・・これあの人が描いてんの?想像できなかったなあ・・・。」
ソフトな笑顔と低めで穏やかな話し声を思い出す。
見せてもらった花の絵とも全然違う。
「読めないなぁ。」
面白い人だ。
ゲームのプロットは彼のものではないにしても、この感じを出せるのは、カズの言う通り天才なのかもしれない。
ホテルに帰ってからゲームをやってみようと、スマホをポケットにしまう。
水曜日か。
なんとなく胸が高鳴るのは気のせいではなさそうだった。
(つづく)