こんなにまっすぐ誰かに見つめられるのは初めてかもしれない。
恥ずかしいというよりなんだか申し訳ないような。
もう少しちゃんとお肌の手入れをしてくれば良かった。
彼の視線を避けるように窓の外に目をやると、風で微かに揺れるチューリップが見える。
しっかりとした太めの茎は大きなピンク色の花を支えて、周りには黄色の鮮やかな水仙の群れ。
なぜあのチューリップは一本だけあそこで咲いているのだろう。
水仙の花が少し頭を垂れている分だけ、ピンクの頭をピンと持ち上げるチューリップが凛として見える。
「カズのやつ大丈夫かな。」
約束に遅れているカズのことを言う彼の声は穏やかで。
独り言のようだし特に返事もせず、彼に習って店の入り口に目をやる。
それからようやく目の前のチャイに手をつける。
いつもならコーヒーを頼むのだけど、今日はなんだか緊張して甘いものが欲しくなってしまった。
スパイスが程よく香ってリラックス効果もあるはずだけど、今のところはまだその力を発揮してくれていない。
「急なのに来てくれてありがとう。」
「あ、いえ。暇だったし。」
今日ここに来たのは、遅れてまだ来てもいないカズに昨晩電話で誘われたからだった。
こんな時間に電話なんてしてきやがってと悪態をつきたくなるくらいに遅かった。
僕はもう眠る準備に入っていたし、何を言われても断ってやろうと瞬時に思ったのだけど。
『翔ちゃん、翔ちゃんにどうしても会いたいってやつがいるんだけど明日暇?』
「は?ちゃんと説明してよ。」
『あーごめん。もう急いで寝たいかなと思って。』
「寝てぇよ。けどそんなんじゃ返事できないし。」
『そりゃそうだ。』
そうしてカズが説明してくれたのが、今目の前に座って定期的に僕をまっすぐ見つめている彼だった。
『なんか翔ちゃんの建築の記事読んだんだって。写真もあったんでしょ?そんで俺が友達だよっていったら会わせろって。100回くらい言うから。』
「本当に100回なの?」
『うん。多分20回くらい。』
「だと思った。」
『充分でしょ。10分くらいの間によ?もう本気も本気よ。』
「で、その人はカズの友達なの?」
『先輩。会社の。イラストの人。』
「雑だなぁ。まあ分かったけど。いい人なのね?」
『そればっかりは保証付き。めっちゃいい人。ちなみに顔もいいから。イラストも天才。いい男なのよ。』
「ふうん。」
男性なのか。
相変わらず雑な人物像で僕が思い浮かべたのは、なぜか少し斜に構えて立つディーン・フジオカだった。
なんかいい人そうだし、天才そうだし?
だからと言うわけじゃないけど、僕はカズに了解の返事をして眠りについた。
そして予定通りに起きて、余裕をもってここにやってきたのだ。
もちろんカズがもう来ていると思っていた。
だけど店に入るといたのは彼だけで、他にはひとりの客もいなかった。
「貸し切り?・・・じゃないよな。」
「あ、櫻井さんですよね?」
たった一人の客が立ち上がって僕に話しかける。
ディーン・フジオカではなかったけど、かなりイケメンだし優しそうに見える。
「あ、はい。二宮の?」
「はい。大野です。どうぞ。」
彼は自分の眼の前の席を僕に勧めてから自分も座る。
「お待たせしちゃいましたか?」
「いえ。俺がちょっと早かっただけで。」
照れたような笑顔で彼が言う。
テーブルにはコーヒーが半分ほど減ったカップがあって、その横には小さなスケッチブックとペンが置かれている。
「あ、さっきカズから遅れてるって連絡が。でももうすぐ来るんじゃないかな。」
「あ、そうなんですね。」
あいつ、僕には絶対に遅れるなとか言っておいて。
僕は話題を用意してこなかったことを後悔していた。
2人の会社が作っているゲームがどんなものなのかとかをリサーチしてくれば良かった。
カズとはもう10年来の友達だけど、実は彼のやっていることは半分くらいしか知らない。
ゲーム音楽を作っていて、その世界では有名人だ。
だけど一緒にいてもその片鱗は見えない。
「今日ちょっと温かくて気持ちいいですよね。」
お天気の話は世間話の定番だ。
「ですね。」
彼はニコニコと僕を見るけれど、返ってくるのは一言だけで。
相手がそれでいいのだから、僕も黙っていたっていいのだろうけれど、なんだかやっぱり落ち着かない。
「あ、それ、なにか描いてたんですか?カズが大野さんはイラストレーターだって。」
「あ、はい。花を。そこにたくさん咲いてるから。」
僕がさっき見ていたチューリップの方を指して彼が言う。
「あのチューリップ、かっこいいなと思って。」
「え?それ俺もさっき思いました!なんか姿勢良くて凛としてって。」
「そう。一人だけしっかり空に向かってる感じで。」
「ははは。正にそれです。」
すると彼はスケッチブックを開いて、ちょっとだけ恥ずかしそうに僕の方に押しやる。
「すげぇ・・・。」
こんな言葉しか出てこない自分がもどかしいくらい、その花たちはその白い紙の上で生きていた。
色だって着いていないのに、それはもう鮮やかに美しい。
「ふふ。」
「あ、すいません。俺、絵に関しては何も知識が無くて。」
「いえ。そういう、なんか出てきちゃったみたいな声は嬉しいです。俺も難しいこと考えて描いてないし。」
「はは。おっしゃるとおり、勝手に出てきちゃった言葉です。お恥ずかしい。」
「ふふ。雑誌で見るより目が可愛いですね。」
「え?」
「ふふふ。」
「カッ、カズに電話してみましょうか。」
僕は動揺してどもりながらスマホをポケットから取り出す。
「出るかな。」
大野さんはなんら変わらず落ち着いた声を出す。
おかしいな。
雑誌を見て会いたいと騒いでいたらしいのは彼の方なのに。
今では僕の方が浮かれているような。
確かに外見はどストライクだし、雰囲気も感性も合いそうな・・・。
「あ、カズ。今どこ。
遠っ。なんでそんなとこにいんの。
は?待て。大野さんと俺・・・。
ちょ!」
電話は切れて、短い会話で分かったことは、今日カズはここへは来ないということだった。
「切られました。」
「え。」
「あいつ今横浜にいるらしくって。」
「ん?」
「ここには来ないそうです。」
大野さんは一瞬黙り込んで、得心したように言う。
「・・・なんか申し訳ない。」
「え、いや、大野さんが謝らなくても。」
「俺が無理に頼んだんだよ。櫻井さんの記事、毎回読んでて。もうずっとファンだったから。カズもずっと知ってたのに何も言わなくて。」
彼の口数が増えるにつれて、僕の耳が熱くなる。
こんな風に僕の仕事を言ってくれる人にちゃんと会うのは初めてで。
しかもさっきまで浴びていた彼の目線はどちらかというと「熱視線」と言えるようなもので。
「緊張するから一緒にいてくれって頼んだんだけど。あいつこういうとこあるんだよな。」
「あります。大いにありますね。」
「すいません。もう帰りましょうか。」
「あ、えっと。」
正直、緊張する。
でも、もう少し一緒にいたくもある。
僕も彼をもう少し知りたいと思っていた。
なのに、理由も言い方も思いつかなかった。
適当になんでもなんて、仕事でならできるのに。
「来てもらったし、今日は奢らせてくださいね。」
「え、じゃあ次は僕が奢りますね。」
「ふふ。お願いします。」
僕らはポツポツと世間話をしながら駅に着き、別々の方向の電車に乗った。
「次」なんて言ったのに連絡先の交換さえもしなかった。
(つづく)