朝は来たけど、これはちゃんと翌日のものだ。
目は腫れまくっているし、喉も痛い。
体もコチコチになってるし、ビショビショのタオルの上で寝たせいで髪の毛もひどいことになっている。
昨日の朝には戻れなかった。
「翔、どうしたの??熱あるの?ちょっと計りなさい。」
母がボロボロの僕を見てびっくりして駆け寄ってくる。
そして体温計を取りに走ると、またパタパタと戻ってくる。
「ない。熱ない。風呂入る。」
僕は体温計を拒否して脱衣所に入って扉を閉める。
「今日休んだら?電話しておこうか?」
ドアの外から母がまだ話しかけてくる。
「いい。風呂で治る。」
「治らないわよ。本当に大丈夫なの?」
「大丈夫。映画観て泣いただけだから。」
「そうなの?なんていう映画?」
「んー。」
生返事をして風呂場に入る。
シャワーを出して鏡の中自分をもう一度見る。
ひどい。
ひどすぎる。
頭から温かいシャワーをかける。
また涙がじわりと出てくる感覚。
休んだ方がいいのかな。
潤はどうしてるだろう。
あれから少しはマシになっただろうか。
智には僕が電話をすると言ったのにできなかった。
僕が休めば結果を察するだろう。
自分だけじゃなかったとホッとするだろうか。
いや、潤はそんな男ではない。
あんなになりながらもきっと僕が幸せであることを祈っている。
申し訳ないな。
僕も撃沈したなんて。
潤の気持ちも背負っていたというのに。
いや、背負わされてなどいないか。
勝手だった。
・・・・・・
起きてから初めて、たった十数秒間だけど、頭を空にしてボーッと動きを止めることができた。
そして我に返ったときにひらめくようにして思い至る。
僕は失恋した。
相手は智だ。
どうにもこうにも大好きで、溢れすぎた気持ちを伝えることで手放したかのように思ったけど、実はそうじゃない。
智は受け取ってはくれなかったのだから。
まだ全部が僕の体の中に残っている。
涙なんてなんにもしてくれはしなかった。
流しても滲ませても薄めても。
泣きながら漏れだした声にさえなにも乗せられなかった。
ただただ僕の中に残ったままなのだ。
振り出しに戻ったみたいな気持ちだった。
智じゃなくちゃいけない理由がある限り、この気持ちは消えない。
そしてその理由はまだ僕の中で山盛りなのだ。
いつもの倍くらいの時間をかけたのに、ろくに体も洗わずに僕はシャワーを出た。
まだ全部が重い。
魂さえも重いような気がする。
でも仕方ない。
まだ好きなのだから。
リビングに出ると、母はもう出勤してしまったようだった。
映画の話を信じただろうか。
用意しておいてくれた朝食を前に座る。
食欲はないけど食べようと思う。
箸を持ち上げる。
チャイムが鳴る。
こんな時間に来るのは・・・郵便かな。
インターホンで応答するとそこにいたのは潤だった。
「潤!?あれ日直?」
『じゃない。嘘。』
「は?ちょ、ちょっと待って。」
玄関に小走りで行くと、潤がドアを開けて入ってくるところだった。
「勝手に入るの久々。」
潤は嬉しそうな笑顔で言うと、僕を真っ直ぐと見つめる。
「やっぱ朝は翔の顔見たくてさ。予想より酷いね。」
それを聞いた僕は情けなくも泣き出してしまう。
力が抜けて玄関に座り込む。
どれだけ強いんだよ・・・。
自分だって色んなとこ痛いくせに・・・。
潤の登場が、間違いなく僕を救ってくれた。
「学校行けんのか?」
「・・・行くよ・・・潤だって行くんだろ。」
「俺はね。言ったでしょ?なにも変えたくないって。」
「はは・・・言ってたわ。」
僕は泣き笑いで立ち上がると、潤にも入るように促す。
「少し食うから座ってて。」
「ん。」
味噌汁をグビグビ飲むと、豆腐とネギを箸で口に押し込む。
噛んでいる間に鮭を半分軽くほぐすとご飯の上に乗せる。
それを一気に茶碗半分口に押し込む。
「ふはは。ゆっくり食えよ。リスになってんぞ。」
「らいしょふはひょ」
「大丈夫には聞こえねえよ。ちゃんと噛め?」
「ふぁい」
また涙が出てくる。
もう嫌なのにな。
潤の前で泣くのはなんだか申し訳ない。
「ご馳走さま。」
まだモグモグしながら手を合わせる。
振り返ると、潤はスマホを見ている。
「お待たせ。行こ?」
「ん。ふはは。」
僕を振り向いた潤が吹き出す。
視線で気づいた僕が口の横についたご飯粒を取って口に入れると、潤は言う。
「あんま情けないとつけ込むぞ?」
「んあ?なに・・・」
「甲斐甲斐しく愛情注いで惚れさせるぞって言ってんの。」
「なっ・・・」
「冗談。行こ。」
潤はいつものように少し首を傾げて笑うと、先頭に立って玄関に向かう。
危ない。
イケメンの口説き文句、傷ついてる時の効果ハンパない。
僕の全部にはまだ智がいるっていうのに。
「言っておくけど。」
僕は歩きながら潤に宣言する。
「俺はまだまだ智くんが好きだから。理由がありすぎて終われないから。潤がいくら全体的にイケメンでもほだされないから。よろしく。」
「いいよ。俺も同じだから。同じだしこのポジションも誰にも譲るつもりないから。よろしく。」
僕らはニヤリと笑い合う。
いつかは振られたことを受け止めて、時間に委ねて忘れていくのかもしれない。
大学生になって、毎日は会うことが期待できなくなって、少しずつ薄れていくのかもしれない。
いつの間にか恋ではなくなって、強固な友情を築くのかもしれない。
でも、今、君がいいんだ。
だから、仕方ない。
今日はまだ仕方ない。
腫れた目に、青く澄んだ空が染みる。
いつかは泣き足りる日が来るのかな。
それも別に今日じゃなくてもいいけど。
(おわり)