途中何度も、私にこんなに大切にしてもらう資格があるのだろうかと疑いたくなるほど、相葉くんは優しかった。

私が相葉くんをまだよく知らないのと同じくらい、相葉くんも私を知らないはずだった。

すぐに思い出の中に埋もれてしまいそうになるし、遠い目をしたり悲しい顔をしたり、私のいいところなんてどこに見つけられるだろう。

 

「舞。」

「ん?」

「俊介くんとは付き合い始めてどのくらい?」

「んーと、もう2ヶ月くらいかな。」

「もう?」

私にとっては「まだ」という長さだった。

「まだ2ヶ月って思う?」

「うん。でも私の考え方暗いから気にしないで。」

「ははは!確かに〜。」

自分で言ったけど、笑われるとなんとなくムッとした。

 

「ハナさ、私思うんだけど。」

「なに。」

「今日ハナ楽しんでるよね。」

「・・・うん。」

「相葉くん、ハナのことすごく大事に扱ってるよね。」

「・・・うん。」

「まだ一日も終わってないのにさ。」

「・・・・」

 

「私と俊介くん、初めてのデートの日にしちゃったんだ。」

「えっ!?」

「しーーっ。ちょっと。」

「ああ、ごめん。びっくりして。」

「私もびっくりしたよ。でもね、その後たーくさん話もしたの。夜通しだよ。」

「・・・へえ・・・」

Hをした後に話し込むとか、彼とはあっただろうかと記憶を探った。

 

「デートの度にいろんな話しするの。過去・現在・未来、とりとめもなく何でも。」

「・・・いいね。」

「私そういうの初めてで。」

「うん。」

「だから、2ヶ月過ぎたらすごく俊介くんのこと知ってるって気がして。」

「そうだね。」

本当にそうなんだろうと思った。

俊介くんは舞のいろんなところを知って、そうしたら好きにならずにはいられないって私は知ってた。

 

「だから話しなよ。ハナも相葉くんとたくさん喋ればいいよ。それでどっちかが嫌になったらそれはそれで仕方がない。」

「ちょっと、嫌になるとかキツイ。」

「おっ、やっぱりハナってば、相葉くんのこと少し好きになってるんだね。」

「・・・そうなのかな。」

「・・・ふふ。もうそろそろいいと思うよ、私は。」

「分かってる。」

そう、分かってる。

きちんとサヨナラを言うべき人はこれから出会う人じゃなくて、彼だ。


 

私はここ2年半くらい自分のことが嫌いだ。

彼の存在を「良いもの」ではなくしてしまった自分が本当に憎らしくて。

一緒にいた5年ほどの月日は、もう出会えないほどの美しさだった。

だからこそ、もう新しいページが開かれないことが辛かった。

狂おしいほど想った彼に、もう触れられないことが悲しくてたまらなかった。

 

夜ベッドの中で丸くなって抱きしめた幸せが、いつの間にか痛みに変わった。

何度でも自分から脳内再生したひとつひとつのシーンが、勝手に降りてくることを嫌った。

うっとりとして眠りについた場所が、涙で濡れて眠れない場所になった。

時が経って、痛みが鈍くなってからも、自己嫌悪は変わらない。

誰かをまた愛するなんて、夢にも思っていなかった。

 

だけど、もう諦めるのを止めたい。

忘れられないならそれでいいなんて、本当はそうじゃない。

いつかまたどこかで出会ったらなんて、あり得もしない想像で生きるのはもう疲れたし、大切なはずの想い出を忌み嫌うのは苦しい。

だから、もうサヨナラしなくては。


 

丘の上のお花畑には菜の花とネモフィラが咲いていて、鮮やかな黄色とおとなしい青色のコントラストが印象的だった。

この景色をしっかりと脳裏に焼き付けて、いつか愛おしい想い出として引っ張り出せる日が来て欲しい。

桜と、菜の花とネモフィラ。

彼といたたくさんの場面たちを、ゆっくりひとつずつでいいから書き換えていく。

 

「ハナちゃんの名前はお花なの?」

菜の花の前に立つ私に相葉くんが尋ねる。

「うん。でも少しひねった書き方にしたかったんだって。で、考えた末にカタカナ。ふふふ。」

「ははは。そうなんだー。でもカタカナで書くのって可愛いから良かったね。」

「うん。私は気に入ってる。」

「俺も。」

え?って顔を見た私に、相葉くんは満面の笑みで応えて、私はなんだかくすぐったくて笑った。

 

「写真撮ろ?」

ポケットからスマホを取り出して相葉くんが言う。

私は舞と俊介くんを呼ぼうと2人を探したけど、相葉くんは私の肩にそっと触れてスマホを構える。

「2人でだってば。」

「え?ああ。」

躊躇してる暇は与えられなくて、私はレンズに向かって微笑んだ。

画面に映る相葉くんと私は、少し距離はあるものの、仲良しのカップルに見えなくもなかった。

 

彼ともたくさん写真を撮った。

スマホで撮った写真は全て他の場所に保存してある。

じゃないとすぐに見たくなってしまうから。

彼は変顔が得意で、私たちは出かけると必ず一枚は2人の変顔を収めた。

撮った写真を家で見返しているときの笑顔の、下がった眉毛が好きだった。

大抵の表情は写真になっている。

でも、写真なんか無くたって、今はまだはっきりと思い出せてしまうから余計に薄れない。

あれもいつか消す日が来るのだろうか。

今はまだそんなことをする自分が想像もつかない。

 

「ネモフィラのところでも撮りたいな。」

相葉くんがいいスポットを探し始める。

私は今度こそ舞たちを呼ぼうと思ったけれど、見つけた2人は楽しそうにセルフィーを撮っていて、なんだかどうでもよくなってしまった。

「ハナちゃん、ここ。ここがいいかも。」

相葉くんが手を上げて合図するので、小走りで向かう。

 

「反対側来て。」

促されて移動すると、私の頭上にきれいにネモフィラが広がる。

「きれい・・・」

「うん。いい感じ。あとは・・・あ、じゃあハナちゃんちょっと首をこう・・・」

言いながら、私の頭をクッと自分の方へ傾ける。

相葉くんも少し首を傾げたら、こめかみをくっつけ合う形になった。

戸惑った私は上手く笑顔が作れなくて、少し困った顔になってしまった。

 

「笑って、笑って〜。撮るよ〜。はいっ。」

合図に合わせてなんとか口角を上げたけど、相葉くんはどう思っただろう。

画面を操って撮った写真を見直している横顔を伺っていた。

「うーん。イマイチだな・・・」

やっぱり表情のぎこちなさが出てしまったのだろうと思った。

「ダメだ、ハナちゃん。俺の鼻の穴が見えすぎてるよ、コレ。」

 

なんだか申し訳なくなってしまった。

「・・・ごめんなさい。」

「ん?どした?」

本当に何も分からないかのように焦っている相葉くんに、余計に罪悪感を感じる。

「私が相葉くん撮ってあげる。」

スマホに手を伸ばす。

「そこに立ったら最高にカッコイイから。それ貸して。」

 

「やだ。一緒がいい。カッコイイ写真ならハナちゃんので撮らせてあげなくもないけど。」

相葉くんは自分のスマホを背中に隠してしまって、口をかたく結んでしまった。

「私は・・・」

やっぱりまだ恋人同士のようには振る舞えない。

自分の気持ちにも、相葉くんの気持ちにも、大きな嘘をつくことになる。

言葉が出てこなくて足元を見つめた。

涙が出そうになって、それはズルいと懸命に我慢した。

 

「大丈夫だよ、ハナちゃん。」

相葉くんのとても優しい声が聞こえてくる。

「今はまだ、他の誰かのこと考えてても。俺はいいからさ。」


 

(つづく)