『さて次の企画は』 で「教育」という切り口で富野由悠季と宮崎駿を比較する興味深いエントリーが。

■Ζガンダム劇場版で見る富野と宮崎の教育観の違い
http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20050606/p1

ジブリでは過去に2回、『東小金井塾』という若手演出家育成のワークショップを主催して、次世代の演出家を育てる試みがあった。1回目は高畑勲が、2回目は宮崎駿が塾長をつとめている。たしか社内向け以外のこうした公募形式ワークショップはそれ以後行われていない。

宮崎駿が塾長を務めた2回目は、募集のポスターに書かれた「一人だけでも芽を出せ」とのコピーに宮崎駿の若手育成への思いが込められていたが、やはりというべきか、満足いく結果には至っていない。これはつとに「優秀な監督は人を育てられない」と題する押井守のつぎの文章にすべて集約されているのではないかと思う。

   相手を説得すること――これは監督に必要不可欠な能力のひとつだ。いま第一線にいる監督と呼ばれる人間は、ほとんどがこの能力に長けている。宮さん(宮崎駿氏)も高畑さん(高畑勲氏)も富野さん(富野由悠季氏)もそうだし、僕自身もそうだという自負がある。
   ただ、ここで問題なのは、相手を説得することができる人間は、人を育てられないということだ。現場を効率的に機能させるにはスタッフを説得することが重要で、それが監督の使命でもあるのだが、それは同時に、説得できてしまうことによって、教わる側の自発的に学ぶ機会を奪っているとも言える。

(著者: 押井 守 『これが僕の回答である。1995‐2004 』インフォバーン刊より)

そういえば『海がきこえる』のDVD映像特典の中でも、鈴木敏夫は当時を振り返って、いかに若手たちの現場に宮崎駿を寄せつけないかに苦心したとインタビューで答えていた。とにかく宮崎駿は一切口を出さないと言っておきながら、介入してくるからと。その後、ゼロ号試写で宮崎駿による作品への罵詈雑言はあったものも、『海がきこえる』はジブリにおける若手主導作品への先鞭をつけた。

しかしこの『海がきこえる』に対する「オルグ的作品」として、宮崎駿はのちに近藤喜文を監督にすえた『耳をすませば』へと昇華させる。クリエーターとしては正しい姿勢だが、これではスタジオには思想的フォロワーしか育たない。というか、作品の名を借りたジブリ内での粛清だ。その後もジブリにおける宮崎駿以外の作品はつくられているが、結果として宮崎駿を焚きつける「かませ犬」と化している。