金沢におよそ半年間滞在し、『子供都市計画』をテーマに作品を制作されている現代芸術家ヤノベケンジさん。

そのヤノベさんが金沢に住んでいる人々のお宅に訪問し、夕ご飯をごちそうになる『となりの晩ごはん』プロジェクトが終了した。

この23回におよぶ壮大なプロジェクトの全記録が『となりの晩ごはん』プロジェクトのブログで読むことができる。

私もたびたびそのブログをヲチしていたのだが、ブログにアップされているヤノベさんと、金沢の人々や学生たちとの晩ごはん交流は、プロジェクトコンセプトである「金沢の晩ごはんがドラマを生み出し、アートとなる」工程そのものだと感じた。

毎回、ヤノべさんは、晩ご飯をごちそうになったお返しに絵を描いているのだが、そのドローイングや記録写真を一挙に集めた「ヤノベケンジ『となりの晩ごはん』展」が3月13日(日)から3月21日にかけて開かれる。しかもこの展覧会では『となりの晩ごはん』メニューも再現するらしい。

以下、「勝手にヤノベケンジ論」。


■ヤノベ版『ゆきゆきて神軍』


私がはじめてヤノべ氏を知ったのは、『アトムスーツプロジェクト』だ。
放射線感知服『アトムスーツ』を身にまとい、チェルノブイリや太陽の塔を訪れるなどの「未来の廃墟」にたたずむというロストフューチャーな作品。

このほかにもヤノベ氏のテーマは根底には常に「未来の廃墟」、そしての「大阪万博」がある。

とくにドキュメンタリー映画『太陽の塔乗っ取り計画』(企画・出演:ヤノベケンジ、制作:青木兼治)はヤノベ氏にとっての「大阪万博」を総括する作品として興味深い。

この映画では、かつて太陽の塔の目玉内部に159時間も篭城した元赤軍派の男のもとへ、ヤノベ氏が北海道まで会いにいく。

このドキュメンタリー映画はアート制作の過程を追うだけにとどまらない点が、ほかのアーティストドキュメンタリーと一線を画する。

そこに描かれる“目玉男”をたどる旅は、ヤノベ版『ゆきゆきて、神軍』だ。

それほどヤノベ氏に衝撃を与えた『大阪万博』とは何だったのだろうか。
クリエーターには必ず創造の源泉となる原風景やトラウマみたいなものがあるのだが、ヤノベ氏のクエイティブ源泉は「大阪万博の跡地」だ。

「人類の進歩と調和」を謳った1970年の「大阪万博」は閉幕後、パビリオンが壊されていき、まさに「未来の廃墟」となった。

その跡地は少年時代のヤノベ氏とって格好の遊び場であり、そこに広がる光景は彼の原風景となった。


■ヤノベ氏と宮崎駿


99年、東海村の臨界事故が起きた時、下世話なアートファンの中では「すわ、ヤノベ氏が行くのでは?」と色めきたった。だが、ヤノベ氏は決して東海村へ行くことはなかった。

良いか悪いかは別にして、こうした期待が出たのはチェルノブイリでのパフォーマンスを社会運動家的なアーティストと見る人が少なからずいたからだ。

しかし、ヤノベ氏は決して社会運動家的なアーティストではない。
むしろ、きわめて個人的な思いを大切にするアーティストだ。

そもそもクリエイターの作品は、少なからず社会性が内包しているものだが
ヤノベ作品の表層を見て、単に「社会批判がある」と評するのは間違っている。

あくまでも、ヤノベ氏の作品は「個人的な思い入れ」という器の上に、その時代の社会性が点在しているだけだ。

この構造は宮崎駿と似ている。

一時期、宮崎駿は『風の谷のナウシカ』『天空の城のラピュタ』などでエコロジストとしての祭り上げられたが、本質はエンターテイメントの人であり、稀代の職人的アニメーターだ。

宮崎駿は『ナウシカ』『ラピュタ』後のインタビューの中でも「エコロジスト」だの「ヒューマニスト」だのと言われることに嫌気がさすと述べている。

宮崎駿作品の肝は、説教(社会性)とエンターテイメントの程よいブレンドの妙にあるのだが、(ちなみに江川達也氏は宮崎氏を評して、「右手にロボ、左手に美少女、口で説教」と言っている)一部の人間が説教だけを拡大解釈し、しまいにはその説教だけが一人歩きし始める。

そして最期には、宮崎駿いわく「世間のイメージという鏡に映った自分を見ながら物をつくる」状態となってしまう。

ヤノベ氏は東海村に行くと、その後このような状態に陥ると無意識的に直感したのではないだろうか。

3月25日に行われる「愛・地球博」では、『となりのトトロ』に出てきた「サツキとメイの家」が展示されるが、奇しくもこの万博では今では幻となったヤノベ氏の作品も展示される予定だったらしい。


■幻となった「愛・地球博」でのプロジェクト


「愛・地球博」の目玉として、シベリヤの永久凍土の「冷凍マンモス」が展示される。

このプロジェクトからインスパイアされたヤノベ氏は、ディーゼルエンジンを使って四足歩行をするロボットマンモスを製作。

万博が行われている間、街中を歩き回り、その後シベリアまで輸送して、一万年後に掘り起こすという条件で埋葬をするという「マンモスプロジェクト」を考え出す。

この作品のテーマは頭でっかちで体を支えきれなくなり滅んでいったマンモスの物語と、現代社会の欲望の肥大化をオーバーラップさせることで、「環境と地球」を問いかける、20世紀のタイムカプセルとなるはずだった。

ところがこのプロジェクトは経済的かつ政治的理由などから万博での実現は難しいと判断され、万博では幻のプロジェクトとなってしまった。

その後、このプロジェクトはマンモスプロジェクトオフィスへと引き継がれ、今度開かれる「子供都市-虹の要塞」で「マンモス・パビリオン」としてよみがえる。

大阪万博の跡に残された廃墟がヤノベケンジというクリエーターを生み出したが、はたして愛知万博が終わったあとの廃墟からは、数年後にどんなクリエイターが生まれるのか。

あ、すでに開幕前にゲリラ的な女優クリエーターが生まれてたわ。