どうも雲です。
情報共有以外のブログは基本的に自分用の記録として書いているはずなのに、先日ついたtransphobicなコメントを見てブログを書くのが怖くなっていました。またそういうことを言われたらどうしようと。でも一人のtransが生きた記録としてなかったことにはされたくないから、それらは明らかな差別だから、そういったものに負けたくないとも思うのです。
死ぬのならば他人からのtransphobiaだけが原因であってはいけない。それが原因で自分の中の性別違和が呼び起こされて、生きられない理由を思い出させられるから死ぬのです。
母親から
いくら言っても伝わらないこと。伝えようと努力することもとてもdrainingでやりたくないことです。
母親は自分に対して「体が女」ということをあたかも事実かのように押し付けてきます。
「体は完全に男になれない」とか、「男湯に入るのは変な人に襲われるかもしれないから駄目だ」とか、「男と泊まるのは駄目だ」とか、「タイなら体の性別が違っても生きやすいかもよ」とか。
一体なんの権利があってそんなことを押し付けてくるのかがわからない。人の体が何であるかをどうして他人に決められ、それが認めざるを得ない事実かのように押し付けられないといけないんでしょうか。
私は自分の体が女だなんて一度も思ったことがありません。女の体で生きているとしたらそれは自分の体ではない。陰茎がないから男の体ではない?なにを信じるかは自由だけど、他人の体について勝手に推測・決めつけをしてそれを事実かのように本人に認めさせようと押し付けることは明らかに間違っている。
私が出会ったtransphobicな人はみんなそれをしてきました。他人の体について外性器の形で性別を決めつけてそれを本人に押し付ける。しかも外性器の形なんてわからないくせに。
その人達は私が陰茎形成をすればtransphobiaをしなくなるのでしょうか。多分そうではない。どうせ初めから決めつけなのだから、その陰茎が作り物であるとか、出生時に割り当てられた性別が違うからとか、いろんな理由を見つけて差別してくるのでしょう。transであることを知られたら差別を受ける。だから隠し通すしか道がない。
体についての問題
埋没していてシス男性という扱いを受けているときでも、ずっと自分の中で性別違和が消えることはありません。「体が女」と言われて、それを事実として受け入れられたらよかった。でも自分の身体が女だとはどうしたって思えないし、正しい身体でないことにひどく違和感と引け目を感じる。自分で自分の体を認めることができない。それは体の性別移行が十分でないからだと思います。いくらホル注や胸オペをして上半身が男らしくなっても、陰茎がないということでずっと自分の体が正しいと認めることができない。こんな体をしているなら男じゃない、これは本来の自分の体じゃない、間違っているという思いがなくなりません。自分の体を自分で受け入れるために、陰茎形成は必須なんだとわかっています。
だから他人から「体は女」というtransphobiaを受けたとき、とんでもなく傷つくのです。胸を張って自分の体はちゃんと男なんだ、正しいんだと思えないから。自分の体が正しくないことを知っているから。それを知りながら生きていかないといけないのに、お前の体は正しくないんだと他人からもremindされて決めつけられて。そんな苦しみを想像できますか。
陰茎形成はかかるお金も時間も負担もあまりに大きい。それで得られるのは肉でできた棒。(realityについてはいろんな意見があるのでよくわかりません)シス男性のと同じように機能しないし、見た目も違うかもしれない。尿もれや感染があればタイに戻って再手術。それでもやらなければならなかった自分が不甲斐ないけれど、現状そうするしか生きる道が見つからない。自分の体を自分のものだと、正しいんだと受け入れられなければ生きられないから。逆にそれが叶うならtransphobiaを受けてもきっと今よりずっと楽だと思います。
おわりに
同じような運命と現実を背負って亡くなった人たちの思いを残せたらよかった。遺書をまとめて本にして出してほしいと友達と話していました。
鬱になって動けないのに胸オペのために死ぬ気で働いている友達。彼は心が男なんだから関係ねぇと、来世に期待して寿命まで生きると言っていました。こんな現実を前にしても屈せず寿命まで生きると努力できるのは本当に尊敬しかありません。どうか報われてほしい。私も彼のように体を受け入れられたら陰茎形成なんてしなくてよかったのに、と思ったりもします。
自分の体を見たことがある人、外性器が女だと思っている人たち全員を殺したいと思うことがあります。そうしたら誰もtransphobiaなんてしない。自分に陰茎があってもうずっと男として生きられる。友達も同じことを思っていると言っていました。それくらい耐え難く切実なことなのに、今の自分に陰茎がなく体を男として認められないがために埋没してもずっと生きづらい。他人に何を言われるかではなく自分が自分の体を認められるかどうかなのに。
長々と書いてしまった気がします。ではまた。