どうも。雲です。

現在私は胸オペ、ホル注、戸籍変更まで済ませています。

未治療だった一年前はまさに死のうとしていたわけです。

どこへ行っても誰に対してもパスできないことに耐えられなかった。治療をすればパスできるようになって、それで全部上手くいくと思っていました。というか未治療の頃は未来のことなんか考える余裕はありませんでした。

でも戸籍変更をしてほとんど完パスできるようになった今だからこそ思います。

パスできれば幸せに生きられるなんて嘘だった。誤解がないように言っておきますが、最初から治療はあくまで生きるための手段として捉えていました。生きるために最低限必要なことでした。だから治療ができたことはとても幸運だったと思うし、自分の身に起きたことで一番良かったことです。

 

 

 パスができること

初対面の人でも、どこに行っても君づけで呼ばれたりします。好きな人が男だと言ったら、「いつから同性が好きだったの?」と言われたり。ああパスできてたんだとその時気づいたり。

パスできることは一方で当たり前なんですよね。パスができないときは「男なのになんで?」と思うので。だけどパスができると逆に、「自分が幸せになっていいのだろうか」と不安になったりします。変な話ですね。

ちなみにネビドを始めてから8ヶ月経ちますが、今までパスできなかった事例は2件です。

どちらも帽子を被ってバイトしているときでした。髪の毛が封印されると本当にパス度が下がるので最悪と思いながらやってます。パスできないととても落ち込みます。そういうときに見ずに済んでいた悲しみが蘇ります。

 

 

 消えない悲しみ

ふとしたときに思ってしまうのです。一生シス男性の体は手に入らないんだと。

私は自分の体を男性の体としか捉えていません。そうとしか思えないし、もし自分の体が女性のものだなんて思ってしまえばそれで生きていくのは不可能です。

だけどシス男性の骨格、身長、顔立ち、もちろん陰茎も、そういった男性であれば持っていて当たり前のものがすべて欠如していること。

周りを見ればシス男性なんて溢れかえるほどたくさんいる。なのにその一人として生まれることすらできなかった。どれだけの不運を持ってしても説明できないほど悲惨だと思います。なぜ正しく生まれることもできなかったのかとひたすら自分を責めて呪ってしまいます。

吐くほど羨ましくて、本当に許せないんです。全員がtransの苦しみを味わって地獄に落ちればいい。あるものが当たり前としか思わずのうのうと生きているシス全員が許せない。なぜ大きな身体も鋭い顔立ちも男性の骨格も陰茎も当たり前に持ち合わせているんだと。考えるほど悲しくなります。

 

 

 突きつけられる現実

前述の通り私は自分の体を男性の体だと思って生きています。

でも温泉に行こうと思ったら、母親にすごく止められました。襲われたら危ないだとか、性被害に合うかもしれないとか。(この話はまた別のところで書くかもしれません)

これって、体が女だと言われているのと同じですよね。人からすればそうとしか思えないのかもしれない。でも私にとって自分の体は男でしかないんです。普通の男と思って生きているんです。

そう思わなければ生きていられなくなる。

現実から目を逸らしているといえばそうなのかもしれません。これ以外に生きる手段がない。

 

 

 幼稚だなと

こんなことに囚われているのは幼稚、かもしれません。

シスにはシスで世の中には知らないいろんな苦しみがあるんだと言われればそのとおりです。

別に四六時中シスでなかったことを考えているわけではありません。でも将来のことを考えると、SRSと陰茎形成までやりたい。しかし陰茎形成はお金も手間も時間もものすごい覚悟もかかる。しかも体から肉をとらないといけない。そうなると悲観的になるのも無理ないです。

生きる理由ができて、やりたいこともたくさんあって。真剣に取り組んでいることも複数あって。夢も希望もあって。それでも定期的に根本的な欠陥に対する苦しみが頭をもたげてきます。

これをどうでもいいと笑えるようになる手段は一つしか思いつかないですが、それはずっと実現不可能だとわかっているわけで。だから私はずっと苦しみから逃れられないのかもしれません。