どうも雲です。

性自認について日記に書き込んで自己分析していたので、その内容をここにも載せます。

僕は今まで性自認についての記事を複数書いてきていますが、それは悩んで考えている軌跡と思ってください。

 

 

  性自認を探る

 

最近、自分の性自認についてよく考えるようになりました。

以前は性自認を探ろうとしても完全にフタが閉まっているようで、なんの手がかりも得られませんでした。わからないから取り敢えずXかなー?といった感じでした。

トランスジェンダーであること、性同一性障害であることも最近やっと認めたばかりです。

なにか感じたことがあっても、ウソや勘違いといった言葉で無視してきました。

 

周りに女性扱いされると、「なんで?」と無意識のうちに思っています。

「自分は男なのになんで?」という感情です。

そしてそんな考えが一瞬でも浮かんだことにひどくおびえて、なかったことにしようとしています。

 

僕は多分、シス男性との圧倒的な身体差に大きなコンプレックスを持っています。

こんな自分じゃ、彼らの中に入っていけるわけがないと。あんなに体が大きくて、声も低くて、力がある人たちになんて、絶対なれない。「成人男性」のくくりにすら入れません。

身長、体重、力、手足の大きさ、すべてが違う。

こんな自分が男性を自称してしまっていいはずがないと思っています。

シス男性からしても、僕なんかを見て仲間(男)だとは思わないでしょう。

それなのに自分は男だなんて思って、男子学生として大学に通っていること・・・

シス男性からどう思われてるのかと考えると正直とても恥ずかしいです。

もちろん僕にとってはそれが唯一の生きる道なわけで、男として生きるか死ぬかの二択しかないからそうしているだけですが。

 

 

  性自認・・・あれ?

 

性自認、という言葉の意味を今まではき違えていたような不思議な感覚に陥っています。

以前、とある記事で「性自認に女性的な要素がある」と書いた覚えがあります。

 

でも今考えてみると、まるで自分が今まで性自認だと思ってきた壁が崩れ落ちて、その後ろにまた新しい景色が開けているような・・・そんな感じです。

 

あれ?女性的な要素があるんじゃなかったっけ?無性とかもあるんじゃなかったっけ?

僕が今まで性自認だと思ってきたものは、周りの環境やそれまでどう生きてきたかに大きく左右される部分だったような気がします。女性として生まれたことを受け入れて、そうやって生きることが当たり前だと思って、17年も女性として生きてきたら、自分のことを女性だと思うような雰囲気が出来上がってるわけです。今までずっとそうだったからとか、周りがそう扱ってくるからとか、それが本来正しいはずだからとか。

その壁が、崩れ落ちたような。

 

むしろ、その後ろに広がっているものが性自認だったとしたら・・・

一体どこに女性的な要素があるんでしょう。僕のどこが女性なんでしょう。

逆にわからなくなりました。

 

今は大学で男性社会(?)の中で生きていて、男性の集団の中にいて、これはすべて自ら行動して選び取り実現したものです。初めて、生き方を選び取ったのです。

そしてそれは正しかった。僕にとってこれ以上ないほどに正しいことでした。

僕はある意味、自分自身に生かされています。その選択と行動力がなければ、死んでいたから。

そしてその行動はすべて、自分は男性であるという認識に基づいて行われたものではなかったでしょうか。男性だから男性として生きる。理由はその一つだけです。

 

 

  終わり

 

最近は、自分の行動から意思を感じ取ることが多くなってきています。

大学生になり、高校のように一か所に閉じ込められることがなくなりました。

その分行動範囲も増え、自分で生き方を選ぶことができるようになりました。

 

自分で選んだ生き方で、初めて見えてくるものもありそうです。

ではまた。