頑張るってなに? | オッサンの呟き

オッサンの呟き

特にテーマはなく、独り言のように日々思ったことを呟きます。そんな他愛のない話しに付き合ってくれる人がいるかな?



今日は平成のお話。
イチローは平成の大スター。その大スターが引退を発表した。試合後、いつまでも帰らないスタンドの観衆。その観衆が待つ中でフィールドを一周するセレモニーがあった。その時間が23時30分頃。記者会見が始まったのが0時頃。記者会見は1時間30分くらい続いた。

これほど心を揺さぶられた経験はいつ以来だったことだろうか。興奮から寝不足になり、仕事中はふらふらになってしまった。

会見の冒頭で『人より努力をしたなんてとても言えない、でも自分なりには頑張ったとは言える』と言っていた。『飽くまでも計りは自分の中にある。自分の限界を見ながらそれをちょっと超えてみる。この繰り返し。』とも言っていた。この言葉を聞いて、『努力』とか『頑張る』ってことはどういうことなんだろうと考え直した。深い言葉だ。自分が頑張ったと言える瞬間がこれまでの人生の中であっただろうか。限界を超えると思ったことなど自分自身では一度もない。

最強サウスポーの呼び声もある石井一久氏(ヤクルト→ドジャース)は『僕はそんなに野球を好きじゃなかったし、そんなに一生懸命やってないけど、たまたまプロ野球選手になった』ということをあちこちで言っているが、これは嘘だ。プロの世界に入った人はみな野球狂だと思う。そして好きだからこそ重ねられる努力の限界を超えた人たちがトップクラスになる。『そんなに』ということは恐らくは石井一久氏の中の『計り』の中での話だと思う。

イチローの言葉は修行僧のようだ。会見の中身はアメリカのメディアでも報道されていると思うが、英語に置き換えるのが難しい言葉が随分とあったと思う。本当に野球漬けだったのだろう。ファンの期待に応える為に一生懸命だったのだろう。『達成感や充実感を感じた瞬間はあったが楽しいいと思うことはなかった』ということも言っていた。

西部のシアトル、ロサンゼルス、東部ニューヨーク、南部のマイアミでは野球ファンでなくてもイチローを知っているという。全米でも有名人だという。こんな日本人選手は今後現れるのだろうか。野球界との今後の繋がりがどうなるんだろうか。とても気になる。