大切なこと | オッサンの呟き

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特にテーマはなく、独り言のように日々思ったことを呟きます。そんな他愛のない話しに付き合ってくれる人がいるかな?

皆さま、様々にアドバイスを下さいまして有り難うございます。
ウチの子の容体に急変が起こったのは先月21日。ここまできてようやく気持ちが落ちつきました。ネット上にある様々な看護記録をここ数日で読み漁りました。そのことが切っ掛けで、受け入れるべき現実というものに目を向けるようになったのです。

腎臓が消耗品のような臓器であることを考えれば、ある一定のところで容体が安定してもそれは一時的なものであり、そこから先はやはり悪くなっていくのでしょう。そしてその変化は、年齢などによってまちまちなのでしょう。

ウチの子の23歳という年齢を考えれば、ここから先、2年、3年と頑張れるとは思えません。残された時間がどれだけあるのか分かりませんが、一緒にいられる1分、1時間、1日を大切にしていきたいと思います。

命には限りがあり、その終わりは必ずやってきます。ですがウチの子が危篤状態を耐えて生き延びてくれたことで、終わりがやって来るという覚悟をする時間ができました。偉い子です。

容体は日によって変化しますが、危篤状態を抜けてご飯を自分で食べられるようになりました。ご飯のトレイの中で大好きな焼きがつお(高齢猫用)を小さくほぐしていると、足下にやって来て鳴いて催促するくらいに食欲が回復しました。

嫌がるのを無視して、リーナルケアなどの療養食だけを口の中に流し込んだ方が容体の変化が少ないのかも知れません。ですが今は余り制限せずに好きな物、食べたい物を食べさせるようになりました。

それほど遠くない将来、虹の橋を渡って行かねばならないのならば、数少ない楽しみである『食べる喜び』を奪ってはいけないように思いました。単なる延命ではなく、体を楽にしてあげる方法を常に模索し、少しでも幸せな時間を過ごさせてあげることを第一にしたいと思います。療養食以外の物を食べた影響を和らげるのは病院の先生に任せます。

これまでは現実が受け入れられず、容体の回復が見られる度に、以前のような体力と元気を取り戻すんだという夢を僕は見ていました。それ故に食べたいものを制限し、嫌がる療養食を無理矢理、口の中に流し込み続けました。それはウチの子にとっては迷惑なことです。思えば看護についても間違いだらけでした。

僕のような飼い主失格の知識レベルしか持たない者と一緒にいて、よくぞ長く生き抜いてきてくれたと思います。更に、終わりの時がいずれ来るという覚悟をする時間まで、ウチの子は僕に与えてくれています。

どれくらいの時間が残されているのか分かりません。一年かも知れませんし、一カ月もないかも知れません。ウチの子にとっての幸せな時間を少しでも多く重ねていければと思います。

またこの考えが主治医の先生との間で一致することが分かったので、今まで通りの先生にお願いすることにしました。


ウチの子