”海外暮らし”をキーワードに
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こんにちは!
マレーシアクアラルンプール在住の
美帆です。
(↑名前をクリックいただければプロフィールに飛びます)
夫の海外赴任で来たマレーシアで3人の子育てをしています。
子どもは3人
長男、長女、次男、で
1番上と下は干支が一回り違います
そして長男は
注意欠如多動症(旧注意欠陥多動性障害)、ADHDです。
これまでADHD確定診断済の長男や、いわゆる「グレー」な次男の話をしてきました。
「ADHDと診断され、中1時点で偏差値35だった息子がインター校で変わった話」(全10記事)
定型発達?発達ボーダー?ADHD?次男の話(全4記事)
を書いて来ました。
よろしければ読んでみてください。
前回の続きです。
この記事で感じたことの一つ。
それは、「男児が周りから『ズルい』と思われることを
学校関係者は危惧したのではないか、ということです。
iPadという、おそらく子どもたちの興味を惹くものを一人だけ使えることに対する
嫉妬、「ずるい」と思う気持ち…
長男の面談でも、担任の先生からはいつも
「贔屓と思われない兼ね合い」をお話しいただいていました。
それは、「自分は努力しているのに」と思うからでしょう。
相手は楽をしている、と思うのでしょう。
ですが、
「努力が適正に評価され」ていれば、そもそもズルいと思わないのでは無いか
わたしはそう感じるのです。
これは、努力を適正に評価してもらえない、「褒められない」「頑張ることを当たり前と思われる」ことがあると思います。
宿題するのは当たり前
授業を積極的に受けるのは当たり前
努力を認めてもらえないように感じているのではないでしょうか。
今の学校(在マレーシアのイギリス系インターナショナルスクール)では、
小中学生は宿題をやれば褒められ、
授業で発言すれば褒められます。
しかもポイント制のように褒められた回数は可視化されています。
努力は評価対象です。
何をすれば褒められるかも明確です。
そして、全てやったことはやった本人に返ります。
だから、「ズルい」という気持ちは生まれにくいのではないか、と感じています。
そしてもう一つ。
これに関係している記事を紹介します。
記事に書かれている「シンギュラリティ」あるいは「2045年問題」。
子どもたちは、変化の時代を実は感じていて、
自分たちの今の努力が無駄になるのではないか?
無駄なことをさせられているのではないか?
そんな不安を持っているのでは無いかと感じるのです。
大人は、子どもだったことを忘れます。
小学生の時に自分がいろんなことを考えていたことを忘れます。
私は、
子どもたちは大人が思っているより色んなことを、
もしかしたら大人よりもわかっているのではないか、
と考えます。
自分たちは何か無駄なことをしているのではないか、
という漠然とした不安や不満が
「ズルい」という気持ちに繋がっているというのは考え過ぎでしょうか…
海外の学校は、ITを積極的に取り入れていて、全校児童がタブレットを持つことを義務付けている私立学校もあります。
それこそ何年も前から。
今後も、より良いもの、新しくて学習に資するものが出れば、積極的に取り入れていくでしょう。
日本が旧来のやり方に固執している間に、どんどん進んでいきます。
発達障害の児童だけの問題では無いのです。
単に教育だけの問題ですら無いと思います。
「違いや変化を受け入れにくい」のは日本の特徴です。
しかし、、、、
シンギュラリティを考える時、変化を受け入れにくい子どもを作る教育は致命的です。
今回の学習指導要領の改定は、日本が変化していく1歩ではあると思います。
しかし、現場が
「特別視」
をおそれて新しいことが出来ない現状は変わっていません。
書字障害の子がiPadを使えるかどうかは対岸の火事では無い
そう感じました。
こんな話を読んでくださってありがとうございました。
美帆