【虐待】母の呪縛 遠野なぎこ | Stories Of Survivors University ストーリーズオブサバイバーズユニバーシティ

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誕生日: 1979年11月22日

星座: 蠍座

誕生石:トパーズ、シトリン



遠野なぎこさんは神奈川県川崎市出身の女優、タレントです。

女優として子役からキャリアを積み上げて来られた実力のある女優さんですが、その生い立ちは想像を絶する壮絶なものでした。身体的虐待、精神的虐待、言葉の暴力、ネグレクトを受け、摂食障害、アームカット、醜形恐怖症、強迫性障害、自殺未遂など様々なダメージを負いました。

遠野さんのすごいところは、そう言った自分の体験談を世間に打ち明け同じように苦しむサバイバーさんに、共に生きて行こうと伝えておられることです。

遠野なぎこさんはどういった人生を送って来られたのでしょうか?




  幼少期と虐待



遠野なぎこさんは母親が19歳の時に長女として神奈川県に生まれました。まだ若かった母親は、遠野さんの妊娠が分かってからパートナーと共に地元青森県から駆け落ちし、神奈川県川崎市に移住したそうです。

遠野さんは小さい頃から美人と近所でも有名だったのだとか😊


すごく可愛いですね😍



ただ母親は遠野さんを可愛がったり愛情を注ぐことはありませんでした。

その理由は若くで妊娠•出産し、女優になるという自分の夢を果たすことが出来なかったから、若い時に子育てのせいで色々楽しむことが出来なかったから、それを叶えられなかった鬱憤を遠野さんにぶつけていたようです。とても自己中ですね。


遠野さんには3つ下の弟、5つ下の妹、一回り下の妹がいますが、母親は「弟と妹はかわいいけど、それに比べてあんたは!」と、下の子達は可愛がり、遠野さんだけに虐待を繰り返していました。

そのため遠野さんは「私はかわいくもないし、弟や妹に比べるとダメなんだ。自分なんて…。」と自己否定し、卑屈になるクセが出来てしまいました。

こんな可愛い笑顔の裏で壮絶な虐待に遭っておられたなんて…



「母と父は何かにつけ、まだ幼い私を殴ったり精神的に追い詰めるようなことを繰り返していました。髪の毛を掴まれて壁に叩きつけられたり、体を引きずり回されたり。

 殴られた後には、決まっていつも、青いバケツが私に向かって投げられるんです。鼻血が止まらなくなって、毎回ティッシュを1箱使うので「もったいない」と言われて。だからバケツに鼻血や涙を溜めて、止まったらそれを流すんです。」


血が出るまで子供を殴るなんて普通の精神状態ではないですよね。こんなことが日常的に繰り返されていたなんて…

他にも母親から言われた酷い言葉があります。

「アンタが楽になるっていうからアンタの
真似して手首切っちゃった!
だからこれは全部アンタのせいだからね!」


「泣くな!アンタは泣いた後目が腫れて
ヘビ女みたいで気持ち悪いんだよ!」


小学生ぐらいまでは遠野さん自身体力がまだないので身体的虐待を良くされていたようですが、中学生ぐらいからは体力もついてきて、精神的虐待に切り替わっていったそうです。


そして先にも載せたように、虐待は母親からだけではなく父親からもありました。父親はたまにしか帰ってこない勝手な人で、家族を省みることはなく、アウトドアなことなど出かける時だけ参加する子供みたいな人だったと言います。お酒、サラ金、暴力と、なかなかクセの強い方だったようですね…。

そんな両親なので、両親は日々ケンカばかりで小学生だった遠野さんの精神状態は不安定。学校に行こうとするとお腹が痛くなります。遠野さんは学校に行きたくないと泣き叫び訴えますが、父親はそんな遠野さんを無理矢理引きずり学校に連れていきました。

「お前は心が弱過ぎる」と父親に怒鳴られ、遠野さんの頭を掴んでダッシュボードに何度も打ちつけることもあったそうです…。

結局両親は遠野さんが小学校5年生の時に離婚し、父親が家を出て行きました。




  子役活動スタート

女優になりたかった母親の夢はいつしか子供達に向けられました。それも初めは遠野さんではなく弟と妹だけに、でした。

母親は弟と妹が歩けるようになってからすぐに児童歌劇団に通わせ始めました。

遠野さんはというと、日々「お前は可愛くない。」とか弟と妹と比較され卑下されることに慣れてしまい、自分が下の子たちと同じように通わせてもらえないことに不満を持つこともなくむしろ自分はダメだから無理だと思い込んでいたそうです。


ただ残念なことに、母親の関心は弟や妹の演技にすらなく、撮影現場に出入りすること、そこで出会った有名人と記念写真を撮ることだったそうです。

弟や妹ですら”愛”ではなく”使っていた”感じがありますね。

そして驚くことに、劇団レッスン場まで弟と妹を連れて行くのは遠野さんの役目だったそうで、当時6歳だった遠野さんが神奈川県の自宅から東京のレッスン場まで幼い弟と妹を連れて行っていたそうです。

ちょっと考えられないですが…。

周りの人は何も思わなかったのでしょうか?


「自分のことも愛して欲しい」


母親からの愛情に飢えていた遠野さんは、母親に愛してもらうため、殴る蹴るなどの身体的虐待や精神的虐待、言葉の暴力、ネグレクトなどの壮絶な虐待に耐え、母親の言うことを必死にきいていました。


そしてそんな遠野さんに転機が訪れます。

ある日いつものように撮影現場に弟と妹を連れて行った時のこと。その日は母親も同行していました。大勢の撮影関係者がいる中で、劇団の関係者が母親に遠野さんもお芝居させてみたらと声をかけたのでした。

母親は「この子には無理ですよ」と全否定したそうですが、その劇団の方が「やらせてみてあげて下さい」と粘り強く声をかけてくれたそうで、母親が承諾し、遠野さんもお芝居の練習をし、子役として活動することになりました。

これが後に遠野さんの人生に大きな影響をもたらすことになるとは当時お芝居に興味がなかった遠野さんは思いもしなかったでしょうね。




1989年、10歳の時、遠野さんはNHK銀河テレビ小説「ある時は妻」でテレビドラマデビューを果たしました。






  摂食障害

遠野さんが子役として人気が高まって来た15歳の頃のこと。

多感な時期で体型が変化しやすい時期でもあったため、遠野さんは体型の変化で子役の仕事ができなくなるのではと不安に思っていました。

そんな遠野さんに母親は「吐けばいいのよ。吐いちゃえば、太らないんだよ。やってごらんなさい」と声をかけ、吐くことを教えました。

これが苦悩の始まりで、一度吐くクセができるとなかなかやめられません。


さらに母親は「白湯を飲むと吐きやすい」、「麺類を最初に食べた方がいい」などと遠野さんに吐く指導をします。

どうして母親はそんなことを教えたのでしょうか?

後にインタビューで遠野さんへこう答えられています。

「まだ子どもだったし、母の教えですから、そんなに悪いことだとは思わなかった。摂食障害という言葉も知りませんでした。ただこれできれいになれる、これで太らないで済むんだという気持ちだった。でも実は、母も摂食障害だったんです。それを知るのはずっと後になってからでしたが」


我が子にわざと辛い経験をさせようと誘導するなんて…

普通の精神状態ではないですね…。


※ 摂食障害とは、極端な食事制限をして著しく痩せてしまう神経性食欲不振症(拒食)と、過食と体重増加を防ぐために吐いたり(過食と過食嘔吐)、飲み込まずに吐くチューイング、下剤や利尿剤の乱用などの行為を繰り返す神経性過食症を指します。


「自分の意志ではどうにもできないのがこの病気の難しさ。朝起きて、パチンとスイッチが勝手に切り替わってしまうんです。過食になると、コンビニの食べ物をお腹がパンパンになるまで食べてはもどしたり。多いときで一日5回吐いたこともありました。もうまともな状態ではないですよね」


それが異常だと分かっていても止められない、やめられない自分を責めるなど、身体的にも精神的にもとても辛いもので、世界中で沢山の人が苦しんでいます。

遠野さん自身もその1人で、15歳の頃から今もずっと摂食障害と共に生きておられます。


「本当に悪魔に取りつかれたような病気で…私は15歳から摂食障害なんですけど、今までにかかったお金で考えたら、都内の一等地に御殿が立つくらいで。1日1万円(が食費)として、15歳から43歳までで。とんでもない金額がトイレに流れていってますよ」



どうして母親はそんなにも遠野さんの足を引っ張ろうとするのか?

遠野さんはこう語ります。

「母は私に対して、娘というより「女」として対抗意識を燃やしているような部分もあったと思います。だからなのか、私が弱れば弱るほど喜ぶ、みたいな感じでした。例えば、私が自分を否定したり、自虐的なことを言うと喜ぶんですよ。演技がうまくいかなかったとか、自分の体型のことを言ったりすると。

 だから私は、いつまでも自信を持てないままここまで来てしまいました。でもそんな母であっても、誰よりも、一番に私を認めてほしかったんです。だって仕事もきょうだいの世話も全部、母のためにやっていたようなものでしたから。」



続く…




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