項羽は、劉邦を屈伏させ26歳にして天下の最高実力者になりました。
秦の王子嬰を処刑し、阿房宮を焼き払い財宝を略奪します。
項羽は故郷の楚の彭城を都として定め、覇王を名乗ります。そして、項羽は秦打倒に貢献したものに恩賞として土地を与えます。
ここで問題となるのは劉邦の処遇でした。
范増は、「劉邦は最も油断ならん相手もっと左に移すのですと主張します。」
劉邦にもは漢中の地が与えられます。しかし、この地は西のはずれの僻地にありとても不便な土地でした。
天下に号令をかけるうえで邪魔な劉邦を封じるためにこの地を与えます。劉邦は項羽と戦っても勝ち目はないためこれを仕方なく受諾します。
これが現代でもつかわれる左遷です。