始皇帝の死 | 高校世界史

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始皇帝は、巡幸の途中で体調を崩しました。その症状は深刻になり、長子の扶蘇に「咸陽に戻り葬儀を主催せよ」との遺書を作成しました。それをお気に入りの宦官の趙高に託しました。そして始皇帝は巡幸の途中に亡くなりました。


始皇帝の死の混乱を避けるため一行は死を伏したまま咸陽へ向かいました。死臭を誤魔化すため大量の魚を積んだ車がさせていたようです。
咸陽についた趙高は李斯を抱き込み、長子の扶蘇ではなく、末子の胡亥を後継ぎに定めます。
そして扶蘇に宛てた遺詔は握り潰され、将軍の蒙恬ともども死を賜る偽の詔が送られました。この書を受けた扶蘇は自殺し、蒙恬は獄に繋がれました。

その後、胡亥が二世皇帝として即位しますが、趙高が意のままに操り権勢を握ります。
趙高は、自身に反対する者を次々と処刑し、秦での権力基盤を固めていきました。