すべて、今の結果は自分が引き寄せる。


自分がなろうとする未来を引き寄せる。


相手にしていることが、自分に起きる。


時間がないからといって

突然友達を呼び出したり、よくあった。


だけど、それってほんとにその人を大切にしていたのかしら。


私自身がされて嫌だと思ったことは、しないでおこう。




船長が、なろうとする姿。

行こうとする行く手に、いいなぁと思っているだけじゃなくて

近づこうって思いました。


もうすぐ、ライブですね。(^^)

どうぞ、熱中症には、気をつけてはっちゃけてきてください♪♪♪




今日は、広島の日。


昨日、綾瀬はるかさんが、インタビューされていたが

語り部の方で

たぶん、今まではインタビューは受けてこなかった方が受けておられた。

あれから65年。


当時17歳。


見染められて、結婚して1週間後に旦那さんは、戦地へ。

お姑さんと二人で暮らし、家屋の疎開といって、

家のすきまをあけるために、家を取り壊す作業を、当日されておられた。


被爆地の中心地から1.8km

半そでのシャツを着ていた、その部分から皮膚は焼けただれ

つめの部分ではがれた皮膚は、とまってたれていた。


娘を探しに来た、父親は何度も何度も、本当に娘なのかと確認した。

それほど、彼女の姿は変わっていたのだ。


それから終戦を迎え

同年12月に、旦那さんが復員された。


彼女の家族は、その姿があまりにも変わっているので離婚するよう相手に申し入れた。

そうしたら、そのだんなさんが即答された。


『私は、戦地で手足を失ったら、彼女の世話になって生きようと

 それだけを、心の支えにして戦地で生き抜いてきた。

 彼女は、国内が戦地になりそういう目にあったからといって、見捨てるなんてことはない』

(↑ちょっと、記憶だけが頼りなので語句に間違いがあるかもしれません。)


その言葉が本当にうれしかったと、彼女が言っていた。



彼女は、その後18回も手術を繰り返し

腿の皮膚を移植したりしながら

やけどのケロイドと闘った。


やけどのケロイドはひきつりを生み、関節の骨の曲がりを無視してもあがっていくそうだ。



戦争はしてはならない。

あなたの(綾瀬はるかさん)の姿が美しいのが(平和ということ)うれしい、と彼女が語り

涙する綾瀬はるかさんの肩をたたいていた。



そうやって静かに戦後を生き抜いてこられた方がいる。

彼女の淡々としたしゃべりが、本当に心を打った。

カメラをずっと拒んできた、その方がカメラの前に出る気持ちにさせたものは


きっと、戦争をさせてはならない。

同じ思いをさせてはならない。という使命感だったんじゃないだろうか。


今日もセミが鳴いている。

何も知らずに過ごしていただろう市民の方のことを思うと、心に重いものがのしかかる。