久しぶりになんだかブログを書きたくなりました。
すっかり秋の風が吹き、大好きな季節の到来です☆
インナーチャイルドと表現される、自己の深い部分との向き合いを続ける事で、自分自身の中で沢山の「子供たち」との出会い、再会がありました。
今では特にセラピーに通うことなくとも、少し横になって目をつぶりながら色々なチャイルド達の事を思い出すことはできますが、その呼び水になるのは辛い感情だったりします。
一年前までポジティブシンキング一辺倒だった自分ですが、今は逆(笑)
光も闇もどちらにも等しく意識という器を広げてゆく。
例えば何だか前向きに気乗りのしない時、「疲れたよ。。。」「疲れたよ。。。」「疲れたよ。。。」と意識の中で声を繰り返してみる。
※ほかにも、今この瞬間は淋しくなくても、「淋しいよ。。。」「淋しいよ。。。」「淋しいよ。。。」と声を自分にかけてみてもいいかもしれません。「辛いよ」でも「怒ってる」でも、「悲しいよ」でもなんでもいいと思います。
そんな言葉を心の中でつぶやきながら目をつぶっていると、胸が締め付けられるような思いと共に、ふっとその感情を強く持った過去の自分や時に一つのシーンを思い出すわけです。
それは、幼少期でない時もあって、ちょっと数年前の自分でもあったりしてもいいのかもしれません。
会社でノルマにあくせくしなあらがむしゃらに働いていた自分だったりもします。
暗い夜道を遠い王国会館まで、親と一緒に自転車で30分くらいかけて行き来している幼き自分だったりします。
暑い日の野外奉仕で汗を拭き、へとへとになっている自分だったりしました。
そんな沢山の頑張ってきた自分、疲れた自分を見つけてはねぎらってあげる。
きっと、その時「疲れた」という当たり前で正直な気持ちを誰かに話す事ができなかったのかもしれない。
「疲れたよ」「休みたいよ」「もう嫌だよ」「やりたくないよ」
そんな表現すら許されなかったのかもしれない。
そしてその心や感情の行き場はどこにもなかったのかもしれない。
それをただただ、今この瞬間の自分が聞いてあげる。
それだけでいい。
なにも励ましたり、正そうとしたり、教えたりする必要もない。
意味を説く事も、無理やりポジティブな解釈を与える必要もない。
そんな心の旅を繰り返す中、僕は自分の子供たちにある日宣言をしました。
それは、自分がその子たちの親であるという宣言。
これからは自分が彼らの親になるという宣言。
『今まで知らんぷりし続けてごめんね。
僕こそが君たちの本当のお母さん、お父さんだったんだよね。
もう、これからは感じた事、言いたい事、言えなかった事、気持ち、そのすべてを伝えてね。
そして、それをうまく表現する事が今はできなくても大丈夫。
僕はいつまでも君たちの声を聴くために、またこの場所に戻ってくるからね。
出てきたくなったら、いつでも出てきてね。
そして今出てくる気持ちの無い他の子供たちにもこの言葉を伝えてね。
ゆっくりでいい、一緒に歩んでいこう。』
そんな言葉を自分の心の奥底にしっかりと届ける事で、自分の過去との和解、和合は緩やかにでも確実に進んでいくのかもしれません。
インナーチャイルドの数々は大切な大切な自分の子供たち。
だから決して、彼らを何か浄化するだとか、もう完全に癒されて終わったとか、卒業するとかそんなものでもないのかもしれない。
切り離すものではなく、うちにしっかりと抱きかかえて生きていくもの。
新しい朝を迎えたら、今日の自分はインナーチャイルドなんです。
その一つ一つは「今」という自分を必死で支える大切なピース。
たとえ、どんなに傷つけられた子供たちであっても、それは自分の誇りでもある。
どんなに弱々しく、どんなに無力で情けない子供であっても、それは自分の力である。
その誇りと力を取り戻した時、本来の輝かしい「自分」が顔を出してくる。
そう、それは子供の時に描いていた夢や希望、創造性でもあり。
だからそんな子供たちを癒し、愛するのは、僕の父親でも母親でも、配偶者やだれか周りの人でもなく、ただただ自分自身であって。
いくら毒親に育てられたとしても、その親自身に何とかして癒してもらったりする事でもなく。
その子たちが本当にねぎらってほしかったり、優しい言葉をかけて欲しかったのは、ほかでもない自分自身からだったんだという事にある時ふつふつと気づかされます。
いつも、どんな自分にも自分自身が100点満点をつけたかっただけ。
頑張ったね。
頑張れなかったね。
よくできたね。
よくできなかったね。
でも、それでいいんだ、今日も100点満点だったね。
そんな風にありのまま、そのままの自分を認めたり、愛する気持ちさえ持てなくなっているのが、この人間という生き物であって。
いつも何か足りない、何か届かないと、減点する癖がついてしまっている。
そんな社会や家庭の影響をとても多くの人が受け継いでいるかもしれません。
だから本当の意味でのそんな自愛の心の旅を繰り返す事が、「慈愛」となり、がやがて自然とただ他の人への無条件の愛に変わっていくだけであって。
だからこそ、自分は自分を本当に愛しているのか、許しているのか、認めているのか、そこを徹底的に見つめていく作業は大きなギフトを自分にも、自分の周りの世界にも与えてくれるのであって、自分の過去を見つめ、愛するために再開していく心の旅は本当に大切なのだと僕は感じています。
それはインナーチャイルドと言っても、低自我と言っても、潜在意識と言っても、どんな表現でも良いのです。
ただ自分に確かに内在する弱さや痛み、悲しさなどの闇を担ってくれていた部分をどう見ているか、受け止めているか、というだけであり。
そこに自分自身への誠実さ、勇気があるかというだけであって。
だから過去のどんな自分にも改めて立ち戻り、自分でその時の自分に限りなく100点満点をつけて、受容する事が出来た時、、、
今日のふがいない自分、もしかしたら必ずしも理想通りではないかもしれない今日の自分自身に対しても、100点とまではいかなくとも、それはそれは高く尊い価値を見つける事ができるのでしょう。
そんな自分自身への正直さを取り戻した時、人の未来は本当の意味で100点満点に近づいていくのでしょうか。。。
