卒JW後の生活再建  ~心の開放~

卒JW後の生活再建  ~心の開放~

脱JW後の心の軌跡を辿る。


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自分自身の強さも弱さも、光も闇も、そしてそれを鏡のように表現してくれるどんな他者や出来事であっても自分の中で良しと、あるがままを受け入れて行く事の大切さを日々感じます。


そしてそれがなんと幸せな視点なのだろうと分かっていても、つい無意識に過去の習慣に倣い自分自身や外部の何かにラベルを張ったり、ジャッジしている自分もまだいて、、、
でも、それすらも認め、許し、自分の心や思考の中のスペース、居場所をそれらにも許していく。


そんな日々を繰り返す度に、自分の中で『克己心』というものが薄れてきているのを発見しました。


克己心=自分の欲望を抑える心。自制心。
そのような意味があるようですが。
特に自分の弱さに打ち克つ(勝つ)という意味で使われてきたと思います。
それは素晴らしい事、人として当たり前の事のように教えられてきました。


克己心の強い人は、素晴らしい。
あのスポーツ選手は強い克己心を持って日々努力したのであのような素晴らしい成果を収める事ができたんだよ。
あの人は、克己心を忘れず日々勉強を続けて、●●試験に合格したんだよ。


そんな風に、物事の成果と克己心が切っても切り離せないように無意識の中で教えられてきたと思います。


それも悪くはない。


でも、もうそれは必要ない。


それだけでは無い時代が訪れてきている。


だから自分には克己心は合わない、要らない、出来ないと思うならばそれでもイイ。


何も自分の弱さを自分と切り離して、それと戦う必要なんてないんだ。
強さも弱さもあってこその自分なのだから。
弱さや闇を何故自分から切り離して戦うのだろう。
そんな事できるのだろうか?
それは本当に、本当の自分だろうか?


そんな風に感じるようになっています。


それは克己心とは真逆の価値観であって、受己心とも表現できるのでしょうか。
そんな日本語は無いですけれども(笑)


受己心

包己心



でもきっとこれからは、そんな生き方、そんな心の持ち方にフォーカスが向けられる時代が来ると感じています。


克己心のある人が幸せ、成功するという事だけではなく、、、
どんな自分も、ありのままのその瞬間の自分を受け入れ、包み込める人が幸せに、生きがいを感じる人生。 
そんな社会。
そんな地球。


そんな視点から、自分自身の人生、今までの歩み。。。
そして今のJWという存在であったり、周りの社会であったり、自らの外に映る全てのものであったり。。。


それを素直な目で見つめて生きていきたいなぁと思っています。


弱い自分、間違う自分を責めたり、嘆かないでいいよ。

いつも強く、正しくあらねばならないなどと無理をしなくていいよ。

自分を自分以上に強く、正しく見せる必要なんてないんだよ。

自分を自分以上に弱く、間違っていると感じる必要もないんだよ。



その言葉の中の「自分」を時に他者や、社会、組織に置き換えてみながら。。。


僕は今年様々な経験を経て、克己心中心から受己心中心へ心の舵を大きく切ってこれからの人生の創造を挑戦してみたいと思うようになりました。