時間・信念・外聞 | The passenger of life

The passenger of life

人生という小さな小舟に乗りこんだたった一人の乗客。行き先を決めて進むのは自分。僕は人生をどこに向かわせるのか。流れにまかせるのか必死に舵をきるのか。さあ、どうなる?自分。

耐える心に、新たな力が湧くものだ。

全てそれからである。

心機一転、やり直せばよいのである。

長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。



先日、本田宗一郎氏の言葉に触れる機会があり、この言葉を見つけた。



彼は言わずと知れた本田技研の創業者です。

僕は彼のことを本を通して知っているだけですが、その中に記されていることには大きく感銘を受けました。



経営理念や教育に関して、現代に当てはめると全てが通用するとは思えない(時代は変わっているから)けど、普遍的なことも多く語られています。

その中の一部がこの言葉です。



先ほど、テレビで飛び級のことを報じていました。

高校二年生でも大学に進学できる制度が、とある大学にはあるそうです。



才能と資質にあふれた少年少女が、年齢に関係なく大学に進むことは、当然と言えば当然のこと。

しかし、大学に入るのは高校を卒業してからという固定概念があるために、飛び級が特別なもののように見えてしまいます。

飛び級は欧米では当たり前のように行われている実態は知ってはいたけど、欧米だからな・・・と自分の国とは関係ない、と思っていました。



同じようにして、社会人になってから大学に入り、専門的なことを学ぶということも、日本ではありえないことだと思っていました。

実際、それをなかなか許さない社会であることも事実ですね。

制度や風潮も厳しい。



しかし、学ぶということはなにも大学がすべてではないですね。

大学に入れば専門的に深く学べるのは間違いないですが、そうじゃなくても学べることはたくさんある。



そしてそこに年齢は関係ない。

僕の義兄のお父さんは、定年退職後にある法務に携わるための資格取得の勉強をしています。

趣味で資格を取得するのではなく、本気の勉強です。



僕は仕事を辞め、勉強することに半年間を使いましたが、正直なところ厳しかったです。

今もその後処理というか、ツケがまわってきています。



人それぞれではあると思いますが、やりたいと思ったことや、学びたいと思ったことに対して、本気で取り組むことは悪いことではないんじゃないかと思います。

普通の生活をしている人にしたら、生活も苦しくなるし、家庭を持っている人はその責任もあるし、不安は消えないし・・・。

でも、だからといって諦める必要はどこにもないと。



僕の場合は失うものもなく、失敗してもなんとかなるわい、という楽観的な思考があったから実行できました。

結果としては苦しい生活になっていますが、生きてるし、ただ贅沢できないということと、生活に安心感がないというだけです。

たったそれだけを我慢するだけで、本気の挑戦ができました。



これは単身者である僕だから出来たことなのかもしれませんが、理解を得られ、挑戦の間最低限の生活を営めるなら、誰にでもできることだとも思います。

要はその間の生活と、外から見られる自分に自信を持っていられるかどうか。

大人になってからの挑戦てのは、意外と周囲の目線は厳しいですから。



実際に、僕もそのうち「ほらみたことか」と言われるのは間違いないです。

でも、そんなの関係ない。

また来年も挑戦するしな!!



僕の挑戦はまだ一年も経っていない。

これで諦めたらただ時間を浪費しただけになる。



今僕は33歳ですから、来年は34歳。

まだこれから先は長い。



本田宗一郎氏も「一年や二年の遅れはモノの数ではない」と言っている。

今の僕は「ほんとかよ!?」と思ってしまう節もある(焦るよね普通)が、応援してくれる人は同様のことを言ってくれる。

だから信じてがんばります。

努力あるのみ!!