前回にこの記事を書いてから、だいぶ時間が空いてしまった。
この記事をを書こうと思ったのは、記録として残しておきたいと思ったから。
ある意味、自分に対しての戒めであり、自分の中で風化させないための記録。
なので最後までしっかりと書き残しておきたいと思います。
前回は、診療内科に行ってショックを受けたところまで書きました。
今回はその続きです。
診療内科では思ったような結果を得ることができなかった。
立ち直る手助けをしてもらいたかったのだが、そこにはそれがなかった。
そこで以前から気になっていたある団体に参加しようと思った。
その団体は、ギャンブル依存症の人たちが己の経験や現在の心境を共有することで、ギャンブルから身を遠ざける状況を作り出していこうとする団体です。
連絡をして、週に一回行われる集会に参加することになりました。
電車に乗り井の頭線のとある駅を降り、会場へ向かいました。
そのときの気持ちが今も忘れられません。
ある意味、ここまで来てしまったんだという気持ち。
こんな団体にすがらなきゃいけないところまで自分は来てしまったんだ。
恥ずかしい気持ちと、社会の歪みに落ち込んだ情けない気持ち、それでもどんな手段を使ってでもこの状況から抜け出さなければいけないという気持ちが入り混じり、泣きそうでした。
会場に着き、区の小さな集会所の二階に上がり、会議室のドアを開けると、そこには年齢も様々に男女問わず多くの方がいました。
みな一見普通の人たちです。
町ですれ違ったらこの人たちがギャンブルに狂っているなんて思えません。
でも、みな大きな苦悩と借金を抱えていました。
この団体は参加した人を強制的に更生させる活動はしません。
あくまで各個人の意志にすべてを委ねています。
その理由は、ギャンブルは外からの圧力で更生できないからです。
自分の意志だけが立ち向かう力なんです。
だから、会場で語られることは痛々しいものが多かったです。
我慢できずにパチンコをしてしまった。
馬券を買いにいく足を止めることができなかった。
などなど・・・
そういったことを赤裸々に語ることで、自分を戒めるんです。
それを誰も責めません。
その苦しさをその場にいる全員が理解しているからです。
全員がギャンブル依存症かその家族なんです。
世間一般的に、ギャンブルをやめられない人は、どうしようもない人という烙印を押されます。
実際、外から見たらどうしようもないのは事実です。
だから、やめられない本人は苦しいのです。
周りからどうしようもないと思われたくないし、家族に迷惑なんてかけたいわけがない。
どうしようもない自分を認めながらも、そうではない自分でいようとするんです。
周りにウソをつき、普通を振る舞いながら、徐々に徐々に破滅へと向かっていくのです。
どうにもならなくなったとき、ようやくこのままじゃいけないと思うんです。
手遅れになってからそう気づくんです。
手遅れになる前に処置をすれば軽い傷で済むんです。
でもほとんどの人は重傷か瀕死なところまでいきます。
だからギャンブルに狂っている人は社会の落伍者となってしまうのです。
実質的にも認知のされ方にしても。
この集会に何度か通うことで、そう思うようになりました。
しかし、一方でここにいてはダメだと思うようになりました。
こんな言い方はその場にいた方たちに失礼で不適切なのですが、ここに留まってしまったらこの空間の中で生きることになってしまう。
そう感じていました。